Il Corsaro ――海賊――





 ジョヴァンニは夢を見ていた。
 厳密にはそれは夢ではなかった。恐らくは苦痛から逃れようとする意識が作りだした幻覚だったのだろう。
 ジョヴァンニは子供となり裸足で白い砂浜を駆けていた。地中海はどこまでも青く澄みきり、夏の陽光を反射してきらきらと輝いていた。沖合いに見慣れた漁船を見付けて、兄弟達と共に歓声を上げる。「パーパ」だ。「パーパ」の船だ。
 我先にと海に飛び込み、漁船へ向かって泳ぎだす。ジョヴァンニも兄弟達に続いた。岸と船とのちょうど中間地点に差しかかった時、それに気付いた。漁船に近付くガレー船の姿に――。
 轟音が響いた。
 ジョヴァンニの目の前で漁船は木っ端微塵となった。粉々になった船の破片がジョヴァンニへ向かって飛んでくる。
 脇腹に激痛が走った。
「寝るんじゃねえ!」
 ジョヴァンニの意識は現実へと引き戻された。青く輝く海はどこにもなく、ジョヴァンニはガレー船の暗い船底にいた。監督官に鞭打たれた脇腹が心臓の鼓動に合わせて脈打つように痛んだ。
 ジョヴァンニは櫂を持ち直すと、再び船を漕ぎ始めた。





 地中海では異教徒狩りが横行していた。
 マルタ騎士団が回教徒の奴隷をガレー船の漕ぎ手としたように、オスマントルコ帝国はキリスト教徒の奴隷を漕ぎ手とした。互いに奴隷を漕ぎ手としたのはむろん重労働という理由もあるが、もう一つ、聞くだにおぞましい心理的な理由があった。相手方に攻撃されにくくするため。そのためガレー船の漕ぎ手は戦闘時には離反の恐れが強く、常に武装した船員に付き添わせなくてはならなかった。
 ジョヴァンニは南イタリアの小さな漁村の生まれだった。ある日その漁村はトルコの海賊に襲われ、ジョヴァンニは兄弟、村人共々、トルコの海賊に攫われた。
 そしてオスマントルコ帝国の首都であるコンスタンティノーブルの奴隷市場に売りに出された。漁師経験のあるジョヴァンニの体躯に目を付けた海賊船長により、ジョヴァンニはガレー船の漕ぎ手として買い取られた。コンスタンティノーブルの奴隷市場まで一緒にいた兄弟の一人は、違う商人に買われ、消息はそこで途絶えてしまった。
 失意のジョヴァンニを待っていたのは、ガレー船の櫂を漕ぐ重労働と、昼夜を問わず行われる輪姦地獄だった――。



 狙われたのは、ジョヴァンニが奴隷達の中で一際若かったからか。或いは引き締まった体躯。それとも南イタリア人特有の黒い髪と黒い眼、オリーブの肌のためか。ジョヴァンニは容姿もまた際立っていた。
 それを求められる時だけは手枷と足枷を外されて、暗い船倉から船員達の居住区である蚕棚の前に引き出された。
 人一人が通るのがやっとの狭い通路で、慣らしも満足にされぬまま、男達の屹立が次々に押し込まれる。治癒する暇も与えられず、連日連夜酷使される後孔はすぐに切れて血が流れるが、律動が楽になるため、むしろその方が有り難かった。
「……あ……ッ」
 攫われてから一年、男達の言葉は身体で覚えた。日常会話の前に隠語を覚えた。次に覚えたのは命令系。舐めろ、咥えろ、飲め、腰を動かせ。ガレー船の漕ぎ手など所詮は消耗品。使えなくなってしまえば、海に放り込めばそれで事足りる。ジョヴァンニへの扱いはぞんざいで、かつ容赦がなかった。
 喘ぎ声は口に押し込まれた屹立によって消された。背後から激しく突き立てられるため、歯を立てぬようにするために必死だった。歯を立てれば容赦なく殴られる。
 背後から張り付く船員の腰の動きが止まると同時、熱い白濁が注がれる。離れるや否や、次の船員が腰に取り付いた。床の木目を見ながら数える。これで二人目。
 皆自分勝手に腰を振り、手前勝手に自らの欲望を吐き出せば、突き飛ばすようにしてジョヴァンニから離れる。一巡し全員を満足させると、ようやく精液にまみれた身体を海水で洗われ、船倉に戻された。その後は満足に眠る事さえ叶わず、再び櫓を漕ぐ重労働が待っていた。
 ジョヴァンニは自分はいずれ死ぬのだろうと漠然と思っていた。それも良い。死ねば、この生き地獄から開放される。生き延びたところで、どうせ未来などないのだ。
「木偶は抱いてもつまらねえよ。坊や、もっと気ィ入れて相手しな」
 ふいに飛んだ声に驚く。それは流暢なイタリア語だった。
 それは船員仲間からハッサンと呼ばれている男だった。ジョヴァンニはある事で彼に注目をしていた。何故なら、彼はジョヴァンニの陵辱に加わらない数少ない男達の一人だったからだ。
 けれどこれまで彼の口からイタリア語を聞いた事はなかった。イタリア語を解するトルコ人、それともイタリア人か。オスマントルコ帝国の判図は広く、民族の混血化が進んでいる。見た目だけでトルコ人か否かを知るのは不可能に近い。しかし男が回教徒であることは間違いはなかった。回教徒の証であるターバンを巻いていたからだ。
 ジョヴァンニの驚きを尻目に、男は一番下の蚕棚に身体を入れると、麻布を引っ被ってすぐに寝入ってしまった。





 激しい陵辱の後で、どうやらジョヴァンニは眠ってしまったらしい。
 頭を爪先で蹴られて目覚めると、既に夜明けが近かった。ジョヴァンニを船倉に戻すことすら忘れてしまうほど満足しきった船員達はそれぞれの蚕棚に収まって高鼾をかいていた
「よお」
 蚕棚に腰かけジョヴァンニを見下ろしていたのは、他ならぬハッサンだった。整った唇から漏れるその言葉はまぎれなくイタリア語で、北の響きがあった。
「今のまんまだとそのうち死んじまうよ。それでも良いのかい、ジョヴァンニ」
 ハッサンは蚕棚からうっそりと立ち上がると、ジョヴァンニの前に立て膝で座った。
「皆、鬼でも悪魔でもねえ。ただの好き物だ。だが人間ってのは妙なもので、言葉が通じない相手には幾らだって残酷な事が出来る。手荒に扱われたくなかったら言葉を覚えな。怯えて縮こまってばかりいないで親しくなりな。人間、親しい奴相手にはそんな酷い事はできねえよ」
「あんたは――」
「俺がイタリア語が出来るから驚いてるのかい。当たり前だ、俺はイタリア人だ。お前さんと同じで、やっぱり海賊に攫われた……な」
 ハッサンは他の船員達を起こさぬよう、声を潜めて、自分の経緯を語った。
「俺はヴェネツィア共和国の生まれだ。国での名前はマルコ、ありがちだな。あの国には一体何人のマルコがいると思う? ああ、トルコの海賊に攫われたマルコなら、それでも百人位に絞れるかな」
 マルコはヴェネツィア共和国の守護聖人の名だった。それゆえに子供にその名に付ける親は多い。東方見聞録で知られるマルコ・ポーロもまたヴェネツィアの出身だった。
「最初はお前さん同様、やっぱりガレーで櫓を漕いでた。このまんまじゃ殺されちまうと思って懇意の船員を作った。戦闘中にそいつに助太刀申し出て戦った。ガレーの漕ぎ手は戦闘時には逃げると相場が決まってるからな。そいつにとっちゃ大した決断だったと思う。だが、俺は逃げずに船員達を守って戦った。その功績が認められて晴れて自由の身だ」
 ハッサンはシーシャ(水パイプ)の容器を引き寄せると、慣れた仕草で水煙草を吸い始めた。頭に巻かれたターバンといい、口髭といい、どこからどう見ても回教徒の男そのものだが、自分と同じイタリア人だと言う。
「どこだって住めば都だ。お前さん、その外見から言って南辺りの漁村の出身だろう。親は? ああ、そう、死んだのか。それで兄弟は? 違う商人に売り飛ばされた? 成る程――」
 村が海賊の襲撃を受けた際に親を亡くし、兄弟は自分と同様に奴隷として売られたが、誰に売られたのか、どこに居るのかすら判らない。そう正直に伝えると、ハッサンはさしたる同情の色も見せずにあっさりと頷き。
「知ってるかい。トルコのスルタン(皇帝)は皆混血児だ。海賊に攫われてハーレム(後宮)に売り飛ばされた女がスルタンのマンマな訳だ。マンマを嫌う男がこの世にいるかい? そしてスルタンの周りに居る使用人も皆奴隷。出世したくてみずから志願して奴隷になるトルコ人もいる位だ」
 とんと水煙管の先を床に打ち付けて、ハッサンは言った。
「毎日毎晩いやだ助けてと耳障りなイタリア語を聞かされて熟睡できねえ。男なら地獄の底から這い上がって、兄弟を買い戻す位の気概を持ちな」
 それきりハッサンはジョヴァンニの前でイタリア語を使う事はなかった。
 ハッサン、元マルコの言葉にジョヴァンニは当初反発を覚えた。が、日々が過ぎるうちに、その言葉はジョヴァンニの心の深い所に根付き、広がっていった。
ジョヴァンニは他の奴隷達よりも船員達に接する機会が多くあった。今までは苦痛しかもたらさなかったその行為の際、なるべくトルコ語を使う事にした。蚕棚の麻袋の下に嘲り笑いを浮かべたハッサンが居るかと思うと、ジョヴァンニは発奮した。
ジョヴァンニが卑猥な単語をたどたどしく口にすると、船員達はどっと沸き立ち、その扱いは格段に良くなった。
 苦痛を訴えたところ、丁子油を挿された。滑りの良くなった後孔に屹立が挿し込まれると、ジョヴァンニは生まれて初めて快楽から声を上げた。言葉を覚えるために、舐めて、咥えて、飲んで、これまで自分に向けて命じられていた言葉を鼻にかかった甘えた声で言うと、それらはすぐに叶えられた。
 ことに名前は何度も呼んだ。持ち主の名を連呼する度、後孔に突き刺さる屹立がより大きくなる。麻袋の下のハッサンに聞かせるかのように、何度も名を呼び、嵩を増した屹立に擦られるその度に嬌声を上げた。
 行為は男達の欲望を満足させるための一方的な物ではなくなり、それにつれて要する時間も長くなった。
 そこにハッサンが割って入った。
「上手く立ち回ってるじゃねえか、坊主」
 元来陽気な性質なのだろう。ハッサンはそう言うと、肩を揺すって笑った。
「うるせえな、俺は繊細なんだ。お前らに見られてちゃ勃つものも勃たねえよ」
 独り占めするつもりかよ、の仲間の言葉にそう毒づいて、ハッサンはジョヴァンニを蚕棚に引き入れた。布団代わりの麻布で目隠しすると、狭い蚕棚に向かい合わせで座った。
「次は争わせろ。個々で犯るように仕向けて、輪姦(まわ)されないようにするのさ」
 ハッサンは小声のイタリア語で言った。
「どうやって?」
「俺が先鞭をつけてやる」
 ハッサンはジョヴァンニの剥き出しの上半身を探り、頂きに指で触れた。乳首に相当するトルコ語を口にすると、ジョヴァンニにそれを繰り返させ、覚えさせた。
「男は皆ここが好きだからな。舐めて弄ってとお願いしてもっと大きくしてもらいな」
 頂きを口に含まれて喋られると、予期せぬ刺激が伝わって来、ジョヴァンニは背筋を震わせた。
「ほら、言ってみな。皆に聞こえるように大きな声で」
 そしてジョヴァンニはハッサンの言う通りにした。麻袋の向こうがどっと沸いた。
唾液で赤く濡れそぼった乳首を指で引き出されて抓まれた。男の太い指で弄られて、意識したものではない喘ぎ声が漏れてしまう。
「どれ、探してやろうか。イイ場所を」
 太い指が今度は後孔を弄る。連日の肛虐ですっかり拡張された後孔はいともあっさりと男の指を受け入れた。ジョヴァンニは堪らず男の逞しい背に手を回した。
「そう、それで良い。頼られると男は燃えるよ」
 指はくちくちとジョヴァンニの内壁を探る。深い場所から浅い場所へと指は移り、やがてジョヴァンニが感じる場所を探り当てた。びくり、と身体を弓なりに反らせたジョヴァンニを見て確信したのか、ハッサンは執拗にその一点だけを責め続けた。
「どうだい? 気持ち良いだろう。指でも一物でも、ここを擦ってもらえるように頼みな。イクと締め付けられて具合が良いんだ。言ったろう、木偶は抱いてもつまらねえって」
「あ……っ……」
 ハッサンの巧みな愛撫に煽られて、ジョヴァンニは啼いた。もっとその部分を弄って欲しくて、腰を押し付けてしまう。
 ちっ、兆しちまったよ。ハッサンは言って下衣を脱いだ。頭を押さえつけられ、屹立に顔を近づけさせられた。ジョヴァンニはみずからの意思でそれを口に含んだ。
「お前は頭が良いな。その頭の良さを活かせば運が開ける。その黒い眼を見開いてよく観察するといい」
 たっぷりと唾液をまぶした舌で屹立を舐めしゃぶる。ハッサンのそれは男らしく反り返り、ジョヴァンニの口には余った。それでもジョヴァンニは懸命に頬張り、裏筋に舌を這わせ、喉奥で刺激を与えた。
「俺達は仲良し一家だ。だが仲良しでもそれぞれ相性がある。そこを見極めて上手く立ち回るんだ。そいつと相性の悪い奴より大きい、上手いってな。逆の事を言うのも時と場合によっちゃ効果的だ。あいつの方が上手いってな。ん……良い子だな、ジョヴァンニ。飲み込みが早えよ」
 頭を撫でられ、ジョヴァンニは無心で屹立を舐め続けた。
「……すげえ、いい……」
 よく日に焼けた褐色の肌を上気させ、ハッサンが声を上げる。周囲の船員に聞かせようとしているのだということに、ジョヴァンニはようやく気付いた。
 これは彼なりの助け舟なのだ、かつての同胞への。
 ならば、とジョヴァンニは思った。彼の男気に答えよう。
 ジョヴァンニは怯むことなくハッサンを受け入れた。感じる場所を言葉にして告げ、そこを擦ってもらえるよう繰り返し繰り返し懇願した。貫かれながら、頂きに触れてもらうよう頼んだ。
 終わっても終わりきらぬのが若さなのかもしれない。
 ハッサンとジョヴァンニは何度も交わり、やがて痺れを切らした船員仲間がカーテン代わりの麻袋をめくり上げるまでそれは続いた。





 その日を境に輪姦は行われなくなり、皆、狭い蚕棚にジョヴァンニを引き込むようになった。お前が今日なら俺は明日だと紳士協定を結び、船員達はジョヴァンニの歓心を買うのに必死となった。
 手枷足枷を外されることはなく、奴隷身分も変わらなかったが、櫓を漕ぐ重労働の最中にも、船員達はジョヴァンニを目零ししてくれるようになり、時には軽口を叩くこともあった。
 同じ境遇にある奴隷仲間が白い眼を向けていることに気付いてはいたが、それを気にする余裕はなかった。ジョヴァンニは心に決めていたのだ。何としてでも成りあがると。
 身体は慣れ、性技は巧みになり、船員のそれぞれの形も、達するまでに要する時間までも測れるようになった。ジョヴァンニはハッサンを相手にする時が一番感じたが、それを態度に現わすことはしなかった。



「もっと舌出せよ。そう……、見せつけてやるんだよ、皆に」
 蚕棚の上で、ジョヴァンニはハッサンに口を吸われていた。ひゅうひゅうと背後から船員達のひやかしの声が飛ぶ。ハッサンが常に行う麻袋の目隠しを怠ったのはうっかりか、それとも何か他に理由があったのか。
 ぴちゃぴちゃと音を立てて口付けを交わす。皆に見られているのかと思ったら、ジョヴァンニの身体の芯がジンと熱くなった。ハッサンはジョヴァンニの首に手を回して引き寄せると、角度を変えて、見せつけるような情熱的な口付けをした。
「ハッサン」
 その声に、蚕棚はしんと静まり返った。
 声の主はジョヴァンニをコンスタンティノーブルの奴隷市場で買った海賊船長だった。船長は船員達の居住区に現れることは滅多になく、ジョヴァンニも又数えるほどしか彼を目にしたことはなかった。
 息詰るような沈黙が流れる中、船長は唇を歪めて下卑た笑いを浮かべた。
「後でそいつを船長室に寄越せ。味見してやる」
 やろう、とジョヴァンニは心に誓った。
 どんな手を使っても成りあがってやる。
 そして買い戻そう、兄を姉を弟妹を。海賊達の手によって損なわれた自分の人生をもう一度取り戻すのだ。
「良い眼だな、ジョヴァンニ」
 ジョヴァンニのその眼の色を見、ハッサンは世にも楽しそうに肩を揺すって笑った。

 それがジョヴァンニの第二の人生の始まりだった。





 A novel inspired by "Uluj Ali Reis, Giovanni Dionigi Galeni "


( 了 )
Novel