狭間の刻 11





 二人は生まれたままの姿を晒し、旅籠の狭い一室で抱き合っていた。
 アシルと肌を合わせるのは二度目だったが、一度目は闇の中。暗闇がすべてを覆い隠してくれた。今はゆらめく獣脂蝋燭の下。乏しい灯りだが、フィリップの羞恥を煽るにはそれで充分だった。
「ん……っ」
 フィリップは唇を開き、アシルの舌を受け入れていた。愛するアシルのものなら、何であれ欲しかった。フィリップは注がれる唾液を喉を鳴らしながら飲み干した。
 幼馴染と身体を重ねるのは、禁断の果実の味わいだった。
 エスターシュも、そうだったのだろうか。この背徳を、そしてそれと裏腹の悦楽を味わったのか。
「アシル……」
 アシルの背に回した手に力が篭る。
「――おまえに会えて良かった」
「来るだろうと思っていた」
 髪に指が絡められ、耳に掛けられた。
 あの夜、この手が何かを確かめるように動かされたことをフィリップは今なお鮮明に覚えていた。エスターシュの巻毛の手触りを確かめようとしていたのか。
「それでいて市門でお前の姿を見た時、まさかと思った。矛盾しているな」
 唇を寄せられ、耳を甘噛みされる。耳の縁を舐められ、温かな口内に含まれると堪らなかった。
「っ、ああっ、あ……ああっ…」
 そのまま首筋に舌が這わされ、フィリップはアシルの首にしがみついた。 
「嬉しいと思う反面、取り返しの付かないことをしたと思う気持ちがあった」
「だから帰れ、と?」
 アシルは頷き、フィリップを寝台に横たえた。
 それは関の酒場と呼ばれる、市壁外の旅籠だった。酒税の掛からない市壁外の旅籠には酒場が付き物で、耳を澄ませば、階下から酔った職人たちの騒ぐ声がする。
 頂きにアシルの吐息が掛かり、フィリップは身じろいだ。薄紅色に色づく頂きを熱く濡れた舌で舐められ、つんと勃ち上がった突起に歯を立てられ、張り詰めたそれを指で抓まれる。
 執拗な愛撫に耐え切れなくなったフィリップは息を荒げながら毒づいた。
「しつこいぞ、アシル」
 アシルはフィリップの胸から顔を上げると。
「やっといつものお前に戻ったな。お前がしおらしいと調子が狂う」
「ば……!」
 怒鳴り返そうとしたが上手く行かず、フィリップは羞恥から手で顔を覆った。
「――気付いていたのか、私の気持ちに」
「いや、まったく気が付かなかった。俺は鈍いな」
 相手が親友とは気付かず関係を持ち、図らずも初めて親友の想いに気付いた。 アシルの衝撃はいかばかりだったろう。それでいて内心の感情を完璧に押し殺し、フィリップに接していたのだ。
 フィリップはいたたまれなくなり、アシルの背中を平手で叩いた。
「この……、色男が!」
「何て言い草だ」
 そう言いながら、アシルはフィリップをうつ伏せにさせた。
 アシルの手が双丘を割り、秘められた場所が露わにされる。舌先が秘所を突き、さらに奥深いところにまで入り込もうと蠢く。
「あ、ああっ……」
 上体が落ち、痴態を晒してしまう。
「や、やめ…っ…ああッ、ああ…ああ……」
 アシルは繊細な肉襞を一枚ずつ解きほぐすようにして丹念に舐めた。尖らせた舌先で内部を抉られ、指を入れられると堪えきれなくなった。フィリップの脚間の屹立は上向き、先端から蜜が溢れた。
 アシルは辛抱強くフィリップの準備が整うのを待っていた。戸惑いを察したフィリップはアシルに向き直り。
「遠慮せずにやれ、どうせ二回目だ」
 と嘯いたものの、アシルの反応が恐ろしく、目を伏せたまま、言葉を連ねた。
「童貞のまま死にたくはなかったからな」
「嘘をつけ」
 アシルは屈託なく笑った。
 処女だったかもしれないが、童貞ではないだろう。とアシルは眼で語っていた。
 そう、それほどまでに自分たちは親しい間柄だったのだ。
 アシルに聞きたいことは山ほどあった。だが、フィリップはあえてそれを口にしなかった。

――アシルは今、生きてここに存在する。それだけで充分だ。

「アシル」
 フィリップはアシルの胸に手を付くと、その逞しい胴に跨った。肛孔にアシルの張り出した部分が当たっていた。ごくりと喉が鳴る。フィリップは消え入りたくなるような羞恥に耐え、腰を落とした。
「あ……」
 先走りの蜜の力を借りて、フィリップはそそり立つアシルを飲み込んだ。
 肉と肉とが擦り合うその感覚が堪らなかった。快楽に鳥肌が立ち、口の端から唾液が溢れる。
 長い時間をかけて長大なアシルのそれをすっかり収めてしまうと、フィリップはゆっくりと律動を始めた。
「フィリップ」
 アシルの声がしたが、フィリップはそれには答えず、行為に没頭した。腰を落とせば、張り出した部分に肛襞を擦られ、奥深くまで飲み込めば、より感じる一点を突かれる。
「ああっ、あああ」
 アシルの屹立で内壁を擦られるその度に脳天にまで響くような快感が走る。
 アシルの上で弓なりになったフィリップだが、頂きを弄くられて再び腰が落ち、肉の凶器で襞を掻き回されて全身が戦慄いた。フィリップは惑乱の中で、ひたすらに親友の名を呼んだ。
「アシル、アシル、アシル……ッ!」
 身体を返され、今度はアシルが上となる。
 フィリップの目の前にアシルの漆黒の瞳があった。
 言葉にすれば陳腐ともなろう。けれどフィリップはその言葉を口にせずにはいられなかった。
「 Achille, Je t'aime 」
 愛している。
 それは長い間フィリップが口にしたくとも出来なかった言葉だった。
 そしてアシルはフィリップの望み通りの言葉を返した。
「 Moi aussi 」
 俺も。
 愛してる。
 フィリップはアシルの首に腕を回し、より深い交わりを強請った。





 旅籠を引き払った二人は塵芥の浮かぶセーヌの流れを眺めていた。
 ブルゴーニュ大公国の都、ディジョンを流れるウーシュ河とセーヌ河の源流は同じ、ソーヌ河だ。
 けれどディジョンを流れるあの美しい清流とこの河はまるで違う。欧州最大都市を流れるその河は汚れきっていた。それはまるでディジョンからの長い距離を表わしているようでもあった。
「恨んではいないのか」
 主語を省略してフィリップは尋ねた。 
 アシルはほんの少し押し黙った。
 ややあってから。
「復讐は冷ましてから食べる料理だろう」
 何と上手い言い訳だろう。
「――あの時、間違えただろう」
 あの時、アシルは自分を誰と間違えたのか。その答えをフィリップは既に知っていた。
 その者こそアキレウスの踵、アシルの弱点、エスターシュだ。
 アシルは一瞬否定するような身振りをしたが、諦めて押し黙った。
 フィリップは畳み掛けるようにして言葉を連ねた。
「お前と何年一緒にいたと思っている」
 アシルはゆっくりと言った。
「いつも無言だった」
 誰が、と聞くような無粋な真似はしなかった。
 二人が反発しながらも強く惹かれあっていたことを、フィリップはこの世の誰よりもよく知っていた。
「あいつはシャロレ伯と関係を持っていたのだと思う。夜更けに俺の寝台に潜り込んで来た。情事の後だとすぐにわかった。そして俺に言った。抱け、と」
 エスターシュが求めていたのは、権勢だった。
 武勲を立てろ、権力を手に入れろ。
 母親を殺したのは自分だという自責の念から、高圧的な父親に従っていた。それ故、主君の息子の求めを拒むことなど出来なかったに違いない。
「身体だけの関係。それから俺はあいつと話すことが出来なくなった」
 フィリップは今こそあの夜のアシルの溜息を、フィリップをエスターシュと取り違えた理由を知った。
 会話を交わすことも、甘い睦言を囁くこともなく、いつも二人は――。
「あいつの真意がわからなかった。だからこそお前に相談することも出来なかった。シャロレ伯との関係を厭い、俺でその名残りを消そうとしていたのか。或いは……」
 愛していたのか。
 エスターシュは心の底ではアシルを愛し、求めていたのだろう。 
 二人の間にあったもの。
 自分は知らず、またこれからも知ることは出来ないだろう。だが、それでいい。 
 自分たちはやはり友だったのかもしれない。
 騎士になるために動いたエスターシュの足は、アシルを求めるためには動かなかった。騎士になるためには動かなかった自分のこの足は、しかしアシルを求めるためには動いたのだ。
 あの狭間の刻(とき)に。
 何も捨てることが出来ず、アシルを失ったエスターシュ。自分はすべてを捨てることによってアシルを手に入れた。
 エスターシュ、お前は伯爵(コント)になるがいい。私はアシルに付いていく。
 だが、友よ。
 一体どちらが幸せなのだろうな。
 アシルは立ち上がると、フィリップに向かって手を差し伸べた。
「行こう」
 そしてアシルとフィリップはパリ市に入城した。





 その後、1415年、アザンクールにおいてフランス軍はイングランド軍の長弓(ロングボウ)によって歴史的な大敗を喫する。
 フランス軍に一万人もの戦死者を出したこの戦いは、中世の騎士が戦場で活躍出来なくなるという時代の変遷を表わす戦として後世にまで長く語り継がれることとなる。
 そして1418年6月12日、アルマニャック伯はアルマニャック派の支配に不満を持つパリ市民によって殺害された。
 パリはブルゴーニュ派に制圧され、ブルゴーニュの支配するところとなる。
 翌1419年、ブルゴーニュ大公ジャンはアルマニャック派の手によりモントローの橋上にて暗殺され、息子のフィリップがブルゴーニュ大公となる。
 ブルゴーニュはイングランドと同盟を結び、アルマニャック派との泥沼の戦いに突入する。和平はジャンヌ・ダルク処刑後の1435年のアラス条約の締結まで待たねばならなかった。

 フィリップの息子シャルルは男系の後継者に恵まれず、ブルゴーニュ大公国はシャルルの戦死によってついに滅亡する。
 大公国は分割解体され、以降ブルゴーニュはフランス王家が、ネーデルランドはハプスブルク家が統治する。



――歴史家ヨハン・ホイジンガに拠ると、ブルゴーニュ大公国の終焉をもって騎士の時代は終わりとされるという。









 

( 了 )
Novel