月影 1





 行成が蔵人頭に大抜擢された、激動の長徳年間。
 それはわずか四年にして終わりを告げた。
 改元早々に流行し、七人もの公卿を失った赤瘡の災い。その痛手をどうしても払拭することが出来なかったのだ。
 新元号は長保と定まった。





 長保元年、一月。
 仕事場である弁官局の結政所に足を踏み入れた行成は、すぐに周りの異様な雰囲気に気付いた。
「……とな」
「まだお若かろう」
 そこで現れた行成に気付くと、皆一斉に押し黙ってしまった。
 着座し、文書の審議を行う。が、結政所には重苦しい空気が漂ったままであった。
 殿上の間に顔を出すと、行成を尋ねて源俊賢がやって来た。
「大丈夫か」
「一体何の話だ」
 皆が囁きあっている話題がどうやら自分にも関係することと知り、行成は眉を上げた。
「陸奥守殿が」
 陸奥守、言わずと知れた藤原実方その人のことである。
 親友の唇から滑り出したその肩書きを聞き、行成はにわかに顔色を変えた。










 行成は物忌と称して自邸に籠った。
 重い物忌とあれば、門を開けることはもちろん、文を受け取ることも許されない。
 自分を重宝がる主上、そして道長から早々にお召しがあることは目に見えていたが、それでも数日は許されることだろう。
 しかし物忌を物ともせず、行成の桃園邸の門を叩いたのは、主上からの使いでも道長の小者でもなく、宰相中将こと斉信だった。
「幾度もお諫めしたのでございますが」
「門をも破りかねない勢いで」
 泣きながら訴える古参女房たちに続き、家令を任せている乳兄弟が弱りてたように言った。
「お迎えした方がよろしいかと」
 もはや抗う気力すらなく、行成は帳を下ろした帳台の中、伏せったままで斉信を迎えた。
「物忌の理由は陸奥守であろう」
 庇の間に入るなり、斉信はさっそく切り出した。
「むろん、かの君が陸奥送りとなったことをお前のせいだと言う者もある。だが、今回のこととそれは関係のないことだ」  
 斉信は良きにせよ悪きにせよ、どこまでも明朗な男であった。

――だからこそ気付かぬのだろう。
 私の内にひそむ、どろどろとしたこの情念に。

「何とか言え、行成」
 荒々しい足音がしたかと思うと、乱暴に帳が払われた。
「陸奥守が死したのはお前のせいではないぞ!」

 実方の訃報を最初に受け取ったのは、実方と親しかった公任朝臣だという。
 今業平と言われた実方の人気は都を離れた今なお高く、宮中は今、その死の知らせに騒然としていた。

「どうした、行成」
 問われたが、行成はひたすらに首を振った。
「言いたい者には言わせておくがいい。もっとも俺の前でそんな戯言を口にする者があれば、ただではおかぬ」
 一度口を開けば、あらぬことを口走ってしまいそうで、行成はひたすらに唇を噛みしめた。
 実方とは秘密裏に始まり秘密裏に終わった関係だった。
 知る者はいないだろう。ただ一人、源俊賢を除けば。

「おまえがその死に責任を感じる必要はない!」 
 けれども行成は誰よりもそのことをわかっていた。

――私が実方を陸奥に追いやり、殺したのだ。
 誰よりも華やかで美しかった、あの男を。   

「行成」
 斉信は行成を狂おしく抱きしめると言った。
「俺が、何もかも忘れさせてやる」





「……止めろ、斉信」
 身体に力が入らず、そう告げるのが精一杯だった。
「なぜだ」
「その気になれぬ」
 斉信はそんな行成に構わず、衣を脱がせていく。
 行成は重ねて懇願した。
「頼む、斉信、…やめてくれ」
「なぜだ」
 胸元がはだけられ、唇が寄せられる。行成は堪らず袖の袂で顔を覆った。
「物忌だ、…ぞ」
「見え透いた嘘を」
 頂きに白い歯が立てられた。口の中に含まれ舐め回されると、思わず顎が跳ね上がる。
「っ、あ……」
 伸ばした手が上掛け代わりにしていた衣に触れた。皺が寄ってしまうほどに強く掴み、行成は懸命にその愛撫に耐えていた。 
 斉信の乾いた指先で摘ままれて引かれると、すぐに脚間に熱が凝る。それを悟られたくなく、膝頭を合わせた。
「ん、んっ…」
 唇が吸われ、歯列を割って舌が滑り込んでくる。深い口づけを強いられ、行成は息を乱した。
 いつも情熱的な斉信だが、今日はそれに輪を掛けて性急だった。 
 斉信は苛立ちの色も露わに素早く衣を脱ぐと、武官らしい逞しい上半身を晒した。

 行成は一時、斉信に実方の面影を見出したことがあった。自分の魅力を知り尽くしており、自信に溢れ、明朗快活。斉信と実方には、同じ藤原氏出身の中将であるだけでなく、重なる部分が多々あったからだ。
 それ故、斉信も察したのかもしれなかった。
 行成と実方の間にあったかもしれぬ何か、に。

 衣のすべてが取り去られ、容赦なく膝頭が割られた。
「その気にならぬと言ったな。だが」
 もう、こんなだろうと辱めるように囁かれ、行成は羞恥に顔を背けた。
「いや、…だ。斉信、……斉信…っ、…ああ、ッ」
 脚間の屹立が握りこまれ、上下に扱くように動かされる。張り出したその部分を親指で執拗に責められ、行成は必死で衣を握りしめた。
「あ、ああ……」
 斉信の大きな手で激しく扱き立てられれば、一時も持たなかった。
「あ、あああっ、……ん、あああッ!」

 腰を突き出すようにして行成は気をやった。先端から熱い白濁が迸り、行成の白い腹を汚した。
 情けなさに目じりに涙が滲んだ。

――何と浅ましい身体だろう。
 心はこんなにも打ちのめされているというのに、肉体は浅ましくもその心を裏切って反応する。

 余韻覚めやらぬ中、斉信は行成の脚を曲げさせ、己の腰に巻きつかせると、一息に挿入した。
 それはまさしく弛緩しきった身体に再び芯を通すかのような感覚だった。びくん、と大きく身体を震わせた行成を見て、斉信は。
「また達ったか」
 言って、律動を開始する。
「一年もとうに過ぎたというのに」
 突かれ揺さぶられ、容赦なく引かれて、行成は喘いだ。肉の凶器と化した斉信のそれが行成の身体を思うさま蹂躙する。
「未だそなたは謎ばかり」
 華やかなりし斉信に女の姿が見え隠れすることは多々あったが、通うが続かぬ斉信に本命的存在はなく、そして夜離れを責めぬ淡白な行成は斉信にとってはうってつけの相手だったのだろう。
 二人の関係は一年を越えてなお続いていた。
「妻に出来る訳でなし、他人に言える間柄でもない。だが、だからこそ、だ」
 行成に覆いかぶさるようにして斉信は尋ねた。
「陸奥守とは長かったのか」
 心の奥底まで見透かすような強いその視線から逃れようと顔を背けた。
「あれは愛憎故か」
 実方の陸奥送りの要因となった烏帽子事件のことだろう。図星であったが、果たしてそう答えることなど出来ようか。
 もう、終わってしまった関係なのだ。
 行成は否定した。
「……ち、違う」
 斉信はその端正な顔を憤りに歪めると、行成の片脚を抱え上げた。ずん、と深い場所を強く、激しく抉ってくる。角度を変えて再び深く突かれると、内臓を引きずり出されそうな恐怖があった。
「んっ!…んんっ!…ぅんっ!」
 もはや絶頂が近いのだろう。
 行成の深い場所で斉信が熱く脈打っていた。
「行成……」
 美しい男は怒っていてもやはり美しいのだと、遠い昔、実方に対して思ったのと同じことを再び行成は思った。
「ああっあ、っ!」
「行成!」
 斉信が切羽詰まったような声を上げる。その瞬間、熱い奔流が最奥で弾けた。
「あ、ああッ! あ…あああッ!」
 行成はびく、と大きく身体を震わせると、よがりながら達し、達しながら嬌声を上げた……。





 どれほどの時間が経ったのか。
 帳台の中で伏す行成の背を斉信はいつまでも黙ってさすっていた。
 気付くと、既に日はとっぷりと暮れていた。
「誰かあるか」
 使用人を呼べるだけの体裁をどうにか整えると、渡り廊下に向けて行成は呼びかけた。
「大殿油を参れ」
 灯火を一つ点したきりの薄暗い部屋で、行成は斉信と二人きりで向かい合っていた。行成は帰れとも言えず、斉信もまた帰るとは言わなかった。
 言葉少なに行成は尋ねた。
「死因は何だったのだ」
「落馬した馬の下敷きとなったそうだ」
 あの華のある男が事故死とは。
 行成は運命の非情さに唇を噛み締めるばかりだった。
「十二月のことだったそうだが、――陸奥は遠い」
「そうか」
 斉信は言った。
「酒(ささ)はないのか」
 何を言う、と鼻白んだ行成にしかし斉信はごく真面目な表情で。
「陸奥守に献杯しよう」



 提子と杯が用意され、二人は酒を酌み交わした。行成は何も言わず、斉信もまた何も尋ねなかった。
 二人、向かい合ったまま、朝まで黙って時を過ごした。



 共に交わす杯は涙の味がした……。






つづく
Novel