La soleil et le lune ――太陽と月―― 





 薬を使われたことに気付いた時にはもう遅かった。
 手首は一纏めにして背中の後ろで縛られ、股引は剥ぎ取られていた。
 一体何を盛られたのか、薬に侵され既に纏まりにくくなっていた頭では見当さえもつかなかった。そう言えば、ジルは錬金術に耽溺しているという噂があった。
 それが痺れ薬でも媚薬でも、よしんば毒薬であったとしても――。
 どうでも良いとラウールは思っていた。誰であれ何であれ、自分を揺さぶり滅茶苦茶にし、忘れさせて欲しかった。あの男を、あの男の不在を。
「無理強いされたいのだろう、ラウール」
 ジルの、大貴族らしい、白く細い指がラウールの裸の肌に触れてくる。まるでリュートを爪弾くような繊細な動きだった。
 身体は痺れ、恐らく何も感じなくなっているだろうと思っていた。しかしその繊細な動きにすら、ラウールは感じた。
「残念ながらそうはさせぬ。お前のような自尊心の高い男を這い蹲らせ懇願させるのが、我の好みだ」
 ジルはすっかり力の入らなくなったラウールの身体を返し、箱寝台に腹這いにさせると、脚を大きく開かせた。双丘が強引に割られ、秘められたその場所に燭台の炎が近付けられる。見られているかと思うと、肌が羞恥に染まった。
「使い込んでいるかと思ったが――、そうでもないな。どうやらラ・イルは淡白らしい」
「……っ、その名を…」
「口にするな? だが、事実であろう。あれは挿れて獣のようにひたすら突くしか能のなさそうな男だ」
 ふいに窄まりに冷やりとした感触があった。蕾がこじ開けられ、油が注ぎ込まれたのだ。冷たい油はけれどすぐに体温と馴染み、とろりと溶ける。ジルは指を挿し入れ、内壁を引っ掻くようにして動かした。
「あ……ッ」
「良いだろう、ラウール」
 堪らず腰が揺れた。
「一度見てみたかった。快楽に溶けた、その淫蕩な顔を」
 指が動かされ、ぐちゃぐちゃという濡れた粘着質な音が響く。
「我はずっとお前をずっと見ていた。お前が欲しかった」
 指が一度引き抜かれ、足され、より太くなったそれが抜き差しされると、自分でも驚くほどに甘い声が喉から迸った。恥じて唇を噛むラウールを見て、ジルは冷たく哂った。





 事の起こりは、国王シャルル六世の発狂という前代未聞の事件だった。
 国王の狂気は断続的なもので、王は時折正気を取り戻した。それが事態をさらに悪化させることとなった。
 狂気の王はバイエルンからお輿入れした王妃イザボー・ド・バヴィエールを厭い、近付こうものなら歯を剥き出しにして威嚇したという。しかし王が一旦正気を取り戻せば、側近たちは世継ぎの名目の元、否応なしに王妃を王の寝台へと送り込む。
 イザボーはいつしか疲弊し、野心家の王弟ルイ・ドルレアンと関係を持つようになった。狂気に侵された憐れな王の目の前で、二人は抱き合っていたとも伝えられる。
 狂気の王を戴いたフランスはやがて無政府状態に突入した。
 ルイ・ドルレアンが政敵であるブルゴーニュ侯に暗殺された後、あろうことかイザボーはブルゴーニュ侯その人と手を結んだ。ブルゴーニュ侯と連合した英国と手を組み、娘と英国国王ヘンリー五世の間に生まれた幼いヘンリー六世を後継者として指名したのだ。そして王太子シャルルを自分の不義から生まれた私生児であると断じた。
 ブルゴーニュ侯と英国の連合軍はフランスの北を支配し、王太子シャルルはフランスの南へと逃げ込んだ。
 
 皇帝アウレリアヌスが再建したため、アウレリアヌスの都市と呼ばれていたその街は、やがてその名が変じオルレアンと呼ばれようになった。それはフランスを南北に分けるロワール河畔の街で、軍事的に非常に重要な位置にあった。
 そのため領主であるオルレアン公爵は常に――王妃と浮名を流したルイ・ドルレアンがそうであったように――王の兄弟か従兄弟が就くこととなっていた。 
 しかし暗殺されたルイ・ドルレアンの息子であるオルレアンの領主、シャルル・ドルレアンは不在であった。英国の弓隊によりフランス軍が壊滅的打撃を受けたアザンクールの戦いで英軍の捕虜となり、ロンドン搭に幽閉されていたからである。
 領主不在の街を攻めることは、当時の騎士道からは禁忌とされていた。だが英軍はその禁を犯し、オルレアンに攻め込んだのだ。
 パリは既にブルゴーニュ・英国の連合軍の手に落ちており、ロワール河を死守するオルレアンを落とされれば、フランスの南に布陣する王太子はもう後がない。
 オルレアンの領主代行の座に就いたのは、ルイ・ドルレアンの庶子ジャンだった。そしてジャンはオルレアンの守備隊長としてパリ代官の同名の息子であるラウール・ド・ゴークールを指名した。

 オルレアン。
 それは絶対に落とされてはならない街であった。





「ラウール、ラ・イルが来るぞ。待ち兼ねた援軍を連れてな」
 サント・クロワ大聖堂のミサで会ったジャンはラウールにそう口火を切った。ジャンは王弟の庶子であり、ラウールは王侍従の息子だった。共にフランス宮廷で育ったため、言わば幼馴染のような関係であった。
 久し振りに聞く朗報に、ラウールは口許を綻ばせた。
「それは僥倖。このままでは鼠まで食う羽目になるところだった」
 ミサが終わり大聖堂の外へと急ぐ人々は皆一様に痩せていた。攻囲から既に六ヶ月。敵軍に攻囲されて補給もままならぬ街の常で、オルレアンの市民は飢えていた。鼠まで食う羽目になる、というラウールの言葉は満更冗談でもないのだ。
「嬉しかろう」
 ラ・イルは伝説的な人物だった。本名はエティエンヌ・ド・ヴィニョル、生まれが左右する当時の軍にあり実力だけで将軍にまで登りつめた男だった。性格も豪放磊落かつ短気であり、ついた仇名がラ・イル(憤怒)だった。ガスコーニュの田舎者と蔑む者も多い反面、熱狂的に崇拝する者もまた多かった。
「お前もそうだろう? ジャン」
 ジャンは意外そうに首を傾げた。
「親しい仲だと思っていたが」
「知ってるだろう、あの男は大貴族にも一介の傭兵にもさながら親友のように振舞う男だ」
「そうか」
「他には誰が来る」
「ジル・ドレ、ドーロン、アランソン。そして噂の『乙女』もいるぞ」
 その得体の知れない女の噂はラウールの耳にも届いていた。神の使いを称するその女は、フランスを救うと吹聴して周り、老ロレーヌ公の病を快癒したという。老ロレーヌ公に認められた『乙女』は王太子シャルルと謁見を果たした。
 王太子はあろうことかその女を神の使いと認め、オルレアンに送り出すことにしたのだという。
「『乙女』か」
「信じられるか、自らを神の使いだと言っているという」
「ロレーヌ公と言えば村娘を寝台に引き込んでた助平爺だ。おおかた『お控え下さい』とでも言って病を治したんじゃないか」
「はは、違うまい。だが理由は何であれ、援軍は有り難い」
 四月のよく晴れた日曜日の朝だった。城壁の外は敵軍に囲まれているが、オルレアンの空は変わりなく青い。領主代行と守備隊長が馬首を揃えて路を行く姿に市民は進んで道を譲る。
「ああ、そう、ジル・ドレは大元帥に昇格したそうだ。気をつけろ、ジル・ドレは昔からお前に気がある」
「気を付けるべきは、俺ではなくアランソンだろう、あれは名高き美男だ」
「お前とは傾向が違う。ジル・ドレはお前を所望しているのだ」 
 ジャンは重ねて警告した。
「気をつけろ、ジル・ドレは国内屈指の大貴族だ。私とても守れないかもしれない」
「王太子の従兄ともあろう男が何を恐れる」
「私は庶子だ、ラウール」
「当の王太子さえも王妃の私生児かもしれないというのに? それどころかお前は王太子の同い年の兄弟かもしれないな」
 王妃を手玉に取った色男、王弟ルイ・ドルレアンを父に持つジャンは困ったような表情で押し黙った。
 王太子シャルルは王妃の私生児だと目されていた。王太子を産んだ当人――王妃イザボーがそう言うのだから信憑性は高い。そしてその父親が王妃の当時の恋人であったルイ・ドルレアンでないと誰が断言できるだろう。
 ややあってジャンはぽつりと言った。
「待ち望んでいた援軍が、来て欲しくないように思えるのは何故だろうな」





 扉が大きく開かれたかと思うと、派手な赤マントを身に纏った男が酒場に飛び込んで来た。水を打ったように静まり返った酒場に聞き覚えのある銅鑼声が響く。
「よお、久し振りだな、パリ代官の息子。オルレアンの守備隊長になったと?」
「ラ・イル!」
 酒場の奥の席に陣取っていたラウールは椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。援軍の到着に合わせ、守備軍は陽動のため英軍の哨所を襲った。そのため援軍の入城とは入れ違いとなってしまったのだ。
「久し振りだな、王太子殿下はお元気か?」
「いつも通りを元気と言うのなら、あれはあれでお元気なのだろうな。相変わらずふさぎの虫に取り付かれておられるよ」
 ラ・イルは相変わらずだった。あっという間に人との距離を詰めてしまう。人は彼を熱烈に崇拝するか、猛烈に嫌うかのどちらかに分かれるのだ。まるで太陽のような男だとラウールは思っていた。
「六ヶ月か、思ったよりも手こずっているな」
「よく守ったとは言ってくれないのか。この街を落とされたら、王太子殿下にはもう後がない」
「守備隊長だけにこちらから仕掛けるのは苦手と見えるな。出来る限り攻城戦を引き伸ばし、王太子の到着を待つつもりだったんだろう」
「何のために」
「自分の手腕を王太子殿下に見せ付けるためだ」
 視線が絡み合い、しかし次の瞬間、二人は同時に吹き出していた。どちらからともなく杯を取り上げ、乾杯する。
「そうそう、乙女はもう見たか?」
 ラウールは無言で頷いた。白銀甲冑の小さな姿は遠くからも目を引いた。乙女を迎えに出たジャンと対面を果たすなり、乙女は臆する事なく言ったという。『あなたがオルレアンのバタールですの』 そしてあろうことか非難した。英軍の制圧下にある北側を迂回しようというその作戦に。
 想像とは少し、いや遥かに違っていた。神憑りという言葉から連想するような、およそ神経症的な女だろうと思っていた。実際に見た乙女は溌剌とした若さに満ちた健康的な少女だった。
「あれが神の使いだとはにわかには信じられぬが」
「お前にも判るだろうよ、そのうちな」
 ラ・イルは言って、ぱちぱちと意味ありげな目配せを送ってきた。

 どれだけ杯を重ねただろうか。気付くと二人はしたたかに酔っ払い、ラウールが滞在する旅籠に転がり込んだ。
「飢えてるな、ラ・イル」
「ずっと戦場暮らしだからな」
 壁に身体を押し付けられ、深い接吻を受けた。ラ・イルの意外なほど柔らかな感触の口髭が唇を撫で、厚ぼったい舌が性急に口内を弄る。
――この男はいつもそうだ、性急で情熱的。
 ラウールは男の背中に手を回して引き寄せた。この男と肉体関係を結んでから久しいが、ラウールがジャンに告げた言葉は偽りではなかった。何年関係を持とうと幾度身体を重ねようとも、この男の態度は昨日今日会った相手と接する時と何ら変わらない。むしろしつこい愛情など願い下げという男なのだ。
「そういうお前は? ふふ、攻囲戦の間は相手が限られるが」
「劣勢の街の守備隊長にそんな余裕なぞあるものか」
 ラウールはぞんざいに服を脱ぎ捨てると、箱寝台に横たわった。ラ・イルが掌に唾を吐き、それを窄まりに擦りつけた。指の関節が焦らすように動かされると腰が浮く。
「っ、……そう急くな」
 ラ・イルは答えず、強引にラウールの中に押し入った。重量感のある巨大なそれをラウールは背筋を反らせて受け入れた。
「あ…ッ…」
 腰を掴み、力強く小刻みな律動を開始する。突き上げられるその度に、強く噛み締めた唇から堪えきれない喘ぎ声が漏れる。
 手荒に扱われても、この男相手なら感じた。慣れ、或いは愛情故か。
 ラウールは前者だと思い込むことにしていた。
 愛している、そう口にしてしまえば直ちに終わる関係だということを、ラウールは誰よりもよく知っていた。





「小船でロワール河を渡らせ、オルレアンに入城させるつもりだった。しかし問題は風だ」
 ラウールはジャンの言葉から、乙女への風向きが変わったことを悟った。まさしく風向きの話からそれを知ったのだ。
「風は東から吹いていた。東風に流されると小船は英軍のいる北側に流されてしまう。だから私は出発を躊躇していた。しかしかの乙女は言ったのだ。私たちの神のお告げは、ずっと賢明で確実なのだと。するとその言葉が終わるか終わらないかのうちに風が南西から吹き始めたのだ」
 そしてジャンは興奮気味に囁いた。
「あれは本物かもしれぬぞ、ラウール」
 ラ・イルがいちはやく認め、眉唾と端から信じていなかったジャンまでも一夜にしてその信憑性を認め始めている。それを目の当たりにし、ラウールは乙女への苛立ちを募らせた。――あれが神の使い、救世主か、馬鹿馬鹿しい。王太子の従兄弟であるジャンを叱り飛ばしたところを見ると、まんざら無教養の農奴の娘とも思えぬが、神の使いならば、何故フランスを、フランスの王太子だけを助ける。英国軍とて同じキリスト教徒ではないのか。
「これは、ラウール・ド・ゴークールではないか」
 上から降ってきたなよやかな声に顔を上げる。
 ブルターニュきっての大貴族、ジル・ド・レ元帥がそこにはいた。すぐ傍らでジャンがはっと息を飲む気配がした。
「閣下」
 ジャンは親王家の末子だが、庶子という負い目と旧知から来る親しさから来る気安さがあった。だがこの男は違う。天下のフランス元帥だ。ラウールは即座に床几から立ち上がり礼を取った。
「先日宮廷でそなたのお父上にお会いした。お父上も苦労しているようだ。治めるべきパリは英軍の支配下に落ちて久しい」
 気をつけろ、ジャンから二度も告げられた警告を無視するつもりはさらさらなかった。無礼にならぬほどの冷淡さを持ってラウールはジルと話した。ジルは誰もが知る男色家だった。近習はすべて美童で固めている。その男が何故薹の立った自分に目を付けているのか、ラウールは自分でも不思議でならなかった。
 ジルはさり気なさを装い、ラウールの首筋に触れた。まるで蛇に触れられたかのように、全身が総毛立つ。
「一級のボルドー産の赤葡萄酒があるのだ。我の宿舎に来られたのなら振舞おう」
 ジルが去った後で床几に腰を下ろすと、ジャンが咎めるように首を振っているのが目に入った。
「まるで『私の巣にいらっしゃい』と蜘蛛に言われたような気がする」
「まさか行きはしないだろう?」
「当たり前だ。明日は死ぬかもしれない身の上で、名うての男色家と遊ぶ余裕などない」
 ジャンは意味ありげに片眉を跳ね上げた。
「ラ・イルとはもう話したか」
「昨夜一緒に杯を酌み交わした」
「そうか」
 時に沈黙は百の言葉よりも雄弁に語ることがある。ラウールは鼻白み、何か言おうと唇を動かした、まさにその時。
 乙女だ、乙女が来たぞ、囁きがさざなみのように幕舎に広がった。ざわめきの中心に、まるで小姓が着るような服を身に付けた少女が居た。同時に見覚えのある赤マントが視界の隅に翻る。ラ・イルだ。ラ・イルは誰よりも早く少女に近付くと何事か耳打ちした。
 少女は顔を上げ、何事か確かめるようにジャンとラウールを見た。つかつかと歩み寄ってくると、ラウールにひたと視線を据えて。
「貴方が守備隊長のラウール・ド・ゴークールですね。どうして街の門を開こうとしないのですか」
「ブロワからの援軍がまだ到着していない」
「援軍を待つよりも神を信じて打って出るべきです」
 そう語る少女の目は据わっていて、ラウールは戦慄した。この女は気が触れているのか、それとも皆の言う通り本当に救世主なのか。
 ラウールは口添えを求めて、ラ・イルに視線を向けた。ラ・イルは歴戦の傭兵隊長だ。戦を知らぬ少女の無謀な提案をきっと諌めてくれるに違いないと思ったのだ。しかし異に反し、ラ・イルは首を振った。
「いや乙女の言う通りだ、ラウール」
 それが、ラウールが最初に感じた違和感だった。





 味方は乙女を救世主と呼び、敵は乙女を魔女と呼んだ。その呼び名はどちらも正しかった。
 乙女は剣を持たず、けれど旗を振って先駆けの役目を務め、味方を鼓舞してサン・ルウ砦を落とした。負けの込んでいたフランス軍の兵士たちは久々の戦勝に浮き足立った。ラウールは勇み足を恐れ、街の城門を閉ざし、再び乙女に非難されることとなった。
「貴方が望もうと望むまいと騎士たちは出るでしょう」
 英軍はサン・ジャン・ル・ブランの砦に潜んでいると思われていた。けれどサン・ジャン・ル・ブランには兵はおらず隣のオーギュスタン砦に逃げ込んでいた。深追いを避け退却命令を下したラウールの目の前で、乙女とラ・イルが舟で河を渡り英軍の中に突入した。そしてオーギュスタン砦は落ちた。
 ラウールはついに乙女を認めた。
 神の使いとして認めたのではなかった。ラ・イルと同質の、その侠気を、命知らずの無謀さを認めたのだ。
「次はトゥーレルだな、ラウール」
 ラ・イルが言い、ラウールもまた頷いた。
 オーギュスタン砦陥落の興奮も未だ覚めやらぬうちに、乙女はトゥーレル橋頭堡の強襲を叫んでいた。橋頭堡、それは橋の対岸を守るために作られた砦のことである。
 オルレアンがロワール河に掛けた唯一の橋、それが英軍の橋頭堡により封鎖されていたのである。
 これまでのラウールであれば、他の貴族たちと共に戦いを見合わせるように言っていたことであろう。
 歴史的大敗を期したアザンクールの戦い以来、フランス軍は負けが込んでいた。誰しも怖気づき、慎重論ばかりが幅を利かせた。だが――、時には人は死を覚悟してでも打って出なくてはならないのだ。 
 このまま打って出ず退却に移れば、疲弊した我が軍は確実に英軍に追撃される。
 しかし未だ乙女を信じぬ幕僚たちは強襲に反対し、時間だけがじりじりと過ぎていった。
 フランスの夏の八時はまだ明るく、昼間のように辺りが見通せた。
 突如、乙女の旗持ちがトゥーレル橋頭堡に向かって走りだし、乙女もまたそれに続いた。突撃命令が下ったと思った騎士たちはトゥーレル橋頭堡を強襲し、ラウールもまたそれを止めなかった。
 トゥーレル橋頭堡は落ち、約五百人のイギリス兵が命を落とした。
 そして絶対に落とされてはならなかった街、オルレアンは開放されたのだった。





「ラ・イル!」
 長きに渡った攻囲戦は終結した。市民は熱狂し沿道に踊り出て、互いに抱き合って喜んだ。街の教会という教会は祝福の鐘を打ち鳴らした。
「ラ・イル!」
 守備隊長のラウールの顔を見ると将兵の誰もが抱きつき、喜びを表現した。ラウールもまた抱擁でそれに返し、それでも目は必死でラ・イルの姿を探していた。この勝利の喜びをあの男と分かち合いたかった。
果たして群集の中にラ・イルが居た。戦場ではいつもそうだが、終わった今もなお乙女の側に居た。乙女は祝勝の喜びの中叫んでいた。
「次はランス! ランスです!」
 ランス、それはフランスの歴代の国王が戴冠する大聖堂のある街だった。けれどランスまでの道程は、ブルゴーニュ侯と英国の連合軍の勢力圏内だ。それでも赴き、王太子を戴冠させるべきだと乙女は主張していたのだ。
「ラ・イル!」
群集をかき分け、ラウールは叫んだ。ラウールの呼び掛けにラ・イルはちらとこちらを向いたが、すぐに視線を乙女に戻し、共に叫んだ。
「そうだ、ランスだ。次はランスに向かおう!」
 人は皆乙女に反発する。
 気の触れた娘、神憑り、狐憑きの娘、田舎娘が、農奴の娘が、戦を知らぬ娘に何が判るのかと退ける。けれど反発すれば反発した分だけ、乙女を認めるのも、乙女に惹かれるのもまた早い。けれど幕僚たちの中には未だ嫌い続ける者もいる。
 人は乙女を熱烈に崇拝するか、猛烈に嫌うかのどちらかに分かれる。
 ずっと誰かに似ていると思っていた。
 誰に似ているのか、今こそラウールは気が付いた。
 乙女は、ラ・イルに似ているのだ。





 乙女の主張は受け入れられ、明日にも王太子軍はオルレアンを発つこととなっていた。
 王太子軍がオルレアンで過ごす最後の夜、けれどラ・イルはラウールに会いに来なかった。ジャンは王太子の意向を尋ねに明日王太子の宮廷のあるシノンに旅立つことになっており、既に休んでいるようだった。
 ラウールは人気の無い、がらんとした幕舎の内で葡萄酒の杯を傾けていた。
 あの男とは何を約束した訳でもない。何の取り決めをした訳でもない。
 パリで、戦場で、たまさか出会えば身体を求め合う、性関係を含めた友人、ただそれだけだ。縋れば、嫌がられるばかり。
 だが、心にぽっかりと空いたこの空洞はなんだろう。
 幕舎は既に片付けに入っていた。床几は仕舞われ、柱が次々に撤去されていく。
 頃合か、ラウールはゆっくりと立ち上がった。その肩に人の手が掛かり、ラウールは期待を込めて振り向いた。
 恐らく喜色が顔面に現れていたに違いない。ラウールの背後に立っていた男は意外そうな表情を浮かべて。
「我は待ち人ではなかったようだな」
 ジル・ド・レであった。
 ジルはラウールが手にしていた葡萄酒の杯を見て、軽蔑したように笑った。
「勝利の美酒には相応しくない酒だ。――我の宿舎に」
 手を引かれ、手の甲を指で愛撫するように触れられる。ラウールはしかし抗う術を持たなかった。





 戦勝に沸き立つ街の常で、夜半を過ぎても街中は騒がしかった。階下に街のざわめきを聞きながら、ラウールはジルの前で身体を開かされていた。
「これを何に使うか判るか、ラウール」
 ジルは真珠の首飾りを手にしていた。大貴族の持ち物らしく、質は良く、珠は粒揃いだ。留め金を外し、端を手に持つ。
 指で蕾を押し開き、まず一珠、つぷりと挿し入れた。
「ァあ…」
 ラウールはその意図を悟ったが、後ろ手に縛られ、薬で痺れきった身体では、何らの抵抗も出来なかった。ジルは大粒のその珠を一つ一つ、手ずから狭い内壁へと送り出していく。
「っ……」
「力を抜け、全部入らない」
 珠が、狭い入り口に入り込む度、痺れるような快楽が走る。粒揃いの真珠の珠が全て入る頃には、ラウールは肩で荒く息を付いていた。
「知っているか、ラウール。これは挿れる時よりもむしろ出す時の方が感じる」
 後ろ手を縛る手首の縄を乱暴に引かれ、ジルの膝の上に抱え上げられた。
 恐らく東方から取り寄せたものなのだろう、……麝香。ジルの身体に染み付いたそれが強く香る。
 脚を大きく開かさせ、ことさらに羞恥を煽る格好を取らせると、ジルは挿れたばかりの真珠の首飾りの端に手を掛けた。
「い……ッ、止め…!」
 珠は抜かれず、端をほんの少し引かれただけ、けれどラウールは耐えかねて首を振った。
「どうだ、良いだろう、ラウール。もっと引いて欲しかろう」
 ラウールはジルの胸に後頭部を擦りつけて慈悲を乞いた。
「それとも自分でやってみるか?」
 それは世にも残酷な問いだった。出来る訳がないと首を横に振ると、ジルはまるで嬲るように窄まりの周囲を指の腹で撫でた。
「襞がひくひくと震えているな」
 ジルは首飾りの端を引き、珠を一つ、ゆっくりと引き出した。
「……ァ…ッ」
 まるで内臓を引き出されるような感覚だった。敏感な内壁を擦り、入り口を通過していく珠の刺激で、ラウールの屹立は熱く昂ぶった。 
「おやおや、まだ一つを引き出しただけだというのに」
 ジルは先端から先走りの液を滲ませる屹立を軽く握ると、二、三度擦り立てた。それは刺激だけを与え、けれど決して絶頂を迎えさせない残酷な愛撫だった。
「さあ、二つ目だ」
 珠が動き、それに引かれて内壁も妖しく蠢く。ジルは空いた手でラウールの剥き出しの頂きに触れた。撫でられると頂きは持ち主の意に反してつんと勃ち上がった。
 上からと下からの刺激を同時に受けて、ラウールはもはや気が触れたようになっていた。
 頂きを抓まれ、痛いほどに引かれた。しかしその痛みすらも今のラウールには有り難かった。忘れたかったのだ、圧倒的な痛みで、圧倒的な快楽で、あの男を。
「ラ・イルと何があった?」
 ラウールは答えず、快楽に潤んだ目をジルに向けた。
「ずっと狙っていた。だがお前はあの田舎武士に夢中で、お目付け役にはオルレアンの私生児がいる。此度もまた手に入れられないものと諦めていた」
 ジルはラウールの脇の下に手を差し入れさらに引き上げると、三つ目の珠を引き出しにかかった。内壁に引っ掛け、刺激を与える時間を長引かせるように、ことさらにゆっくりと。
「ああ…っ…」
「それが弱ってやっと我の元にやって来た。お前はやっと手に入れた、美しい揚羽蝶だ。針を刺して飾っておきたい」
 そう言いながらラウールを見下ろすジルの眼は冷たく、言葉通り、虫ピンに刺した標本を前にしているかのようだった。
 ジルは瞳を細めると一息に首飾りを引いた。
「あ、あああッ……!」
 それこそが待ち望んでいた圧倒的な快楽だったのかもしれない。
 頭の中が真っ白になり、ラウールはあっさりと絶頂を迎えた。がくがくと身体を小刻みに震わせながら、ジルの膝の上で果てた。





 何度挑まれて何度果てたのか、もう判らなかった。
 あの後、達した余韻も覚めやらず頬を上気させるラウールにジルは言った。
「我を不能だとでも思っているのではないか。いいや違う。夜はまだ長い」
 愛撫を加えるばかり、自身は欲望の兆しすら見せぬジルを見て、そう思ったことは否定出来なかった。ジルはそこでようやく衣服を脱ぎ捨て、ラウールに挑んできた。
 不能ではなかった。けれどジルは達するまでに時間の掛かる男だった。
 顎が外れてしまうほど大きく口を開かされ、柔らかなジル自身を含まされた。舐めて咥えて喉奥で刺激を与え、自分を貫くそれを大きく育て上げていく。
 顎が疲れてしまうほどの長い時間を掛けて完全に勃ち上がるようにすると、すぐに突き飛ばされ、下の口にも含まされた。
 長大でなジルのそれはまるで蛇のようにうねうねと蠢き、ラウールを苦しめた。つんと上向いた頂きに爪を立て、ラウールが痛みに顔を顰める様を見て哂う。
「痛みを感じると締め付けてくるのだな、こちらは」
 と、敏感な頂きに爪痕を付けては内部の締め付けを楽しんだ。
「ラウール、あの田舎武士のことなど早く忘れろ」
 早く達してくれ、と幾度思ったことだろう。けれどジルは達せずいつまでもラウールを苦しめた。余人よりも長大で細い屹立で感じる場所を押し潰されると、過ぎる快楽に喉が反る。後少し、もう少しで達せると思ったその瞬間に引き抜かれると、物足りなさに涙が滲み、奥歯ががちがちと鳴った。
「この戦争が終わったら我の城に来るがよい。我の城でお前を飼ってやる」
 ふいに首筋に冷たい感触がした。冷やりとしたその感触はすぐに鋭い痛みに変わる。温かな液体が肩を伝って流れ落ちた。
 血であった。
 ジルはその手に細身のナイフを握り締めていた。
 ラウールはそこでようやく首筋を切られたことに気が付いた。
「お前のこの腕を切り落とし足を落とし、そして我の膝の上で懇ろに飼ってやろう。何処にも行けないように、誰にも奪われぬように」
 首筋から流れ落ちた血はラウールの身体を赤く彩った。
 血がジルの性欲を煽り立てたのか、再びラウールの内に屹立が性急に突き入れられた。張り出したその部分で感じる部分を激しく擦られ、ラウールは喉を仰け反らせて喘いだ。
 次の瞬間、鋭い痛みがラウールの腕に走った。ジルがナイフの切っ先を捻じ込んだのである。
「ぐ…ッ」
 殺されると確信した。けれど不思議と恐怖心は感じなかった。それは緩慢な自殺だった。
「抗わないのだな、ラウール」
 再びナイフが振り下ろされる。ナイフは腕の筋肉を切り裂き、血が飛沫いた。血でぬめる中でジルはついに射精した。
 ジルの熱い精液を身体の最奥で受け止めながら、ラウールは覚悟を決めて瞳を閉ざした。
 そうだ、死ねば、考えずとも済むだろう。
 無骨で短気、けれどもこの世の誰よりも愛しかった、あの男のことを。
 ならば――。
「元帥閣下、どうかそれまでに」
 聞き覚えのある声だった。
 戸口に立っていたのは、今朝王太子のいるシノンに発つはずのオルレアンの領主代行ジャンだった。唇を引き結び、硬い表情を浮かべていた。
 ジャンは諭すように言った。
「幾ら貴方様のような立場の御方であっても、貴族を殺すことは許されません故」





「何故かとは聞かない。想像は付く」
 直ぐに応急処置が施され、ラウールの首筋と腕には油が塗られ包帯が巻かれた。戦の翌日とあり、その負傷を怪しむ者はいないだろう。
 フランスの夏は朝が来るのもまた早い。戦勝の喜びから夜通し浮かれ騒いだ人々が散らかした路上を歩きながらジャンは話した。
「乙女は恐らくランスに行き、王太子を戴冠させることだろう。たった一人のバイエルン女がこの国を滅ぼしたように、たった一人の乙女がこの国を救うのも有り得ぬ話ではない」
 この国を滅ぼしたバイエルン女、それは誰だと問うまでもなかった。それは稀代の淫乱王妃と呼ばれるイザボー・ド・バヴィエールのことだろう。
「そしてこの国を滅ぼした要因の一つは、我が殿、我が父にもあるのだ」
 ジャンの語る殿であり父である男、それもまた誰だと問うまでもなかった。王妃と浮名を流した王弟、ルイ・ドルレアン。
「だから私も乙女と共に赴くつもりでいる、ランスへ。乙女に惹かれたからではなく、自分の責として」
「何が言いたい」
 ジャンは顔を上げると、東の空から昇る朝陽を目を眇めて見遣った。
「月は太陽が昇ると見えなくなる。ラ・イルも乙女も太陽だろう。けれど慎ましやかなその月にこそ惹かれる者もいるのだ。元帥閣下や私のように」
 そう、あの男は太陽のような男だった。
 ラウールは足を止め、足元を見た。不覚にも浮かんだその涙を見られたくなかったのだ。
「ラウール、元帥とは二度と二人きりで会うな。その代わり――」
 ジャンはそう言うと、背後からラウールを抱き締めてきた。
「私がお前を慰めてやる」
「らしくないな、ジャン」
「忘れたか、私は稀代の色男を父に持つ男だ」
「そう簡単に忘れられるものではない」
「私は待つつもりだ、お前のその心の傷が癒えるまで」
 ラウールは答えなかった、長いこと。
 ややあってから震え声でこう言った。
「今こそわかった気がする。王妃が落ちた、その理由が」





 そしてラウールはジャンの忠告を守った。ラウールはそれから二度と二人きりでジルに会うことはなかった。
 乙女は公言通りランスに赴き王太子を戴冠させた。けれどそれこそが乙女の絶頂であった。
 乙女は翌年のコンピエーニュの戦いで英国軍の捕虜となった。
 ラ・イルは乙女奪還のために挙兵し英国軍に捕えられたが、戴冠し国王となったシャルル七世がしかし身代金支払いに応じたため、命を奪われることだけは免れた。
 ラ・イルの命懸けの奪還計画が水泡に帰した後、乙女は魔女としてルーアンで火刑となった。
 開放されたラ・イルはその後ノルマンディー総司令官にまで上り詰めるが、1443年、戦闘時の負傷が元で命を落とした。
 さらに時は流れ、1455年、オルレアンで行われた乙女の復権裁判にはジャンもラウールも共に出席した。

 そしてジル・ド・レは故郷に戻った後、何百人もの幼い子供たちを虐殺し、1440年に絞首刑とされた。童話、青髭のモデルとされるその男は同時に百年戦争の英雄でもあった。
 その英雄が何故――。
 
 乙女の火刑に精神を病んだ、宗教心を失った。様々な説があるが、真実は永遠に闇の中である。





 A novel inspired by "Jehanne Darc"


( 了 )
Novel