キャビネ・ノワール 13 |
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「これで前よりは楽になるだろう」 オレンジの花から採れるネロリ精油には催淫効果があるという。 掌で温めたそれを秘められた場所に塗りこめていく。塗りこめるその所作にも感じてしまうのか、大使はディートルフと視線を合わせぬまま、唇を噛んで堪えていた。 まるでこうなることが定められていたかのようだ。 カッツェンエルンボーゲンとシュタインベルクは隣り合った領地を持っていた。 そして隣り合った領地を持つ領主の大方がそうであるように、無益な争いを避けるため、中世の昔から両家の間で政略結婚を繰り返した。 血族結婚を繰り返した挙句、滅んだスペインのハプスブルク家を笑えはしない。 ディートルフはカッツェンエルンボーゲンの中のカッツェンエルンボーゲン、シュタインベルクの中のシュタインベルクだった。 ――我が血の、何と汚いことか。 わかっていながらも、ヴェルフの血に惹かれる自分を抑えることはどうしても出来なかった。 「ん……っ…」 唇を重ねて舌を絡めた。 舌を絡めて繋がりながら、精油でぬめる指の腹で頂きを探る。慎ましやかだったそれはすぐにつんと尖り、存在を主張する。 「あ…っ…」 指でくじられると堪らないらしい。大使は嬌声を上げたものの、すぐに恥じて唇を噛んだ。 甘い声をもっと聞きたくて、耳朶を甘噛みした。耳の縁に沿って舌を滑らせ、耳の中に舌を挿し入れる。 縋るものを求めてか、大使は敷布を両手で掴んだ。 「あ、っ……ぁ……、っ……」 敷布に艶やかな黒髪を散らし、身を仰け反らせて耐えるその様は、ディートルフの欲情を煽り立てた。 角度を変えて、より深く耳の中へ押し入れる。抜き差しをする度、堪えようとしても堪えきれない喘ぎ声が漏れる。 「……リーンハルト」 耳元で囁くと、びくりと身を震わせた。 思い返せば、大使の名を呼ぶのは初めてのことだった。ディートルフは今一度、耳元で囁いた。 「リーンハルト」 カッツェンエルンボーゲン伯に自分の名を呼ばれたのは初めてのことだった。 だが、何故か過去にも呼ばれたことがあるような気がしてならなかった。 リーンハルトは中世から続くヴェルフ家の伝統ある名だ。後継者たる嫡子には必ずその名が付けられる。 けれどリーンハルトは長い間、自分の名に違和感を感じていた。まるで人の服を黙って着ているような、謂れのない罪悪感が感じられてならなかった。 リーンハルトには歳近の弟がいた。活発で聡明、自分より余程名門ヴェルフ家の跡継ぎにふさわしいように思えた。けれど歳が下という理由だけで、後継者の座を兄のリーンハルトに譲らなければならないのだ。 それこそが自分の名に違和感を感じる要因になっていたのかもしれない。 耳元で名を囁かれ、息を吹きかけられると、自分が溶けた蝋燭のようにぐずぐずになってしまうような気がした。蕩けた表情をカッツェンエルンボーゲン伯に見られてしまうのが堪らなく恥ずかしい。 それでいてすべてを見せたい気がした。心も身体もすべて開いて、一つになりたい。それは生まれた時から定められていた運命のような気がした。 心臓の鼓動と共に熱く脈打つ屹立が秘所に押し当てられる。それは精油のぬめりの力を借りて、初めての時よりもすんなりとリーンハルトの中に挿ってきた。 「あ、…っ……ああッ!」 初めての時とは全く違っていた。あの時はがむしゃらに貫かれ、悲鳴を押し殺す他はなかった。今はカッツェンエルンボーゲン伯に貫かれた途端、脳天まで貫くほどの絶頂があった。 「ああ、ッ……ん……ぁ…」 皺が寄ってしまうほど激しく敷布を掴み、首を振りたてるリーンハルト。 カッツェンエルンボーゲン伯はそんなリーンハルトの目の縁に口付けを落とすと、腰を入れた。 正面からより深く挿れられ、思わず顎が跳ね上がる。 最奥を求めて抉られ、張り出した先端部分で浅い部分を擦られると、過ぎる快楽に閉ざせなくなった唇の端から唾液が溢れる。 万事控えめ、それがリーンハルトに下されていた評価だった。そして敬虔な旧教徒であり、道を大きく踏み外すことはないと思われていた。それ故に皇帝に気に入られ、短期間という条件付であるものの、駐仏大使という重責を任せられたのだ。 リーンハルトには自信があった。常軌を逸した快楽の地であるヴェルサイユに足を踏み入れても、揺らがぬ自信が。 それが、どうだろう――。 自分は今、同性に抱かれ、あまつさえそれに快楽を覚え、淫らに喘いでいるのだ。 リーンハルトは敷布から手を離し、それをカッツェンエルンボーゲン伯の背に回した。 「ディートルフ……」 名を呼ばれたのだから、こちらも相手の名を呼んでもいいだろう。恐る恐るその名を口にした。 「ディーで構わぬ」 その呼称が許されたと知って、涙が溢れた。 それはバイエルン大使が親しさの度合いを示すように多用していた愛称だった。 同じ男を愛した者同士、わかることがあった。バイエルンの大使は危機感を抱いていたのだろう。カッツェンエルンボーゲン伯を失うことに。だからこそ牽制した。 子供じみた行為かもしれない。だが、その気持ちが今こそ理解できたような気がした。 愛は呪いのようなものかもしれない。 自分以外の者をこんなにも求めてしまうのは罪だ。自分ではないのだから自分の思い通りにはならない。他の者に奪われることも、失うこともあるだろう。 その時、自分は果たして正気でいられるのか。 ディートルフはリーンハルトの腰を抱え直し、より深い交わりを強いた。 「あ、あ、ッ!」 太く熱いディートルフのそれで角度を変えて抉られ、内壁を掻き回されて、リーンハルトは触れられることなく射精した。 ぽた、ぽた、と震える屹立が白濁を吐き出し続ける。泣きじゃくり喘ぐリーンハルトを、しかしディートルフは執拗に求めてきた。 「も、もう…っ……あ、ああッ」 まるで弛緩しきった身体に再び芯が通されるようだった。 ディートルフはリーンハルトの腰骨を掴み、深く、激しく突いてくる。逃げることは決して許されず、突き動かされるままに喘ぐばかりだった。 「っ…ディー! ディー! …ディー!」 抉られ、突かれ、リーンハルトが今度は射精なしの絶頂を得たその瞬間、最奥で熱いものが爆ぜた。 「ッ、ああ、ッ…!」 もし自分が女であれば、今夜、自分は確実に孕んだだろう。それは予感ではなく確信だった。 それほどまでに、リーンハルトはカッツェンエルンボーゲンを失いたくないと思っていた。全身全霊で彼を欲していた。 目を閉じ、リーンハルトは祈った。 困った時、窮地に陥った時、神ではなく彼女に助けを求めることは、聴罪神父すら知らぬリーンハルトの秘密だった。 リーンハルトは幼い頃、薔薇の名を持つ彼女と、祈りを捧げる時に使うロザリオ――薔薇の花冠の意味がある――を関連付けて考えていたのだった。長じた後も、その習慣は変わることはなかった。 ――どうか、どうか彼を守ってくれ、ローザリンデ……。 |
つづく |
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