キャビネ・ノワール 4





「は…っ……」
 ディートルフはルードヴィヒの執拗な口付けを受けていた。
 そのままロビーに向かうかと思われたルードヴィヒはディートルフの手を引き歌劇場の階段を上がった。そしてディートルフが抗議の声を上げる暇もなく、桟敷席に引き込んだのだ。
 腕を押して身体を引き離したものの、角度を変えて再び口付けられた。ルードヴィヒの熱い舌が口腔を貪る。誰のものとも知れぬ唾液が顎を伝って流れ落ちた。
「どうした、ルッツ」
 ディートルフは唇を手の甲で拭い。
「日付は変わった。禁欲すべき四旬節に何を」
「こちらの肉を断つつもりはない」
「その気にならぬ」
 ディートルフはうんざりしたように言った、
「その気にならない理由は何だ」
 耳朶に舌が這わされた。尖った舌先が耳の端をなぞるように滑らされ、耳穴に舌が差し込まれた。そのまま嘗め回されて、全身が粟立った。
「あ、……っ…」
 天鵞絨張りの寝椅子に手を置き、すっかり力の入らなくなった身体を支える。敏感になった耳に流し込まれたのは、意外な言葉だった。
「帝国の大使は以前からの知り合いなのか」
「言ったろう、庭園で見たと」
「本当に?」
 こんなルードヴィヒの姿を見るのは初めてのことだった。花壇を飛び回る蝶の如く、貴婦人たちの間を忙しく立ち回っていたルードヴィヒ。本音は決して見せず、窮地に陥った時でさえ鼻歌を歌っているような男だとばかり思い込んでいた。
 ディートルフは冷たく。
「私は貴公と何か約束を交わしたか」
 ディートルフがヴェルサイユ宮殿に足を踏み入れた時、ルードヴィヒは既に遊び人として名を売っていた。初対面にも関わらず、彼はまるで十年来の親友のようにディートルフに声を掛けてきた。それから会う度に寝台へと誘われた。冗談めかした誘いをかわすのは楽しく、いつしか宮殿で顔を会わせるのを心待ちにするようになった。
 関係を持つまでにさほどの時間は必要としなかった。
 彼の持つ情報は魅力的だった。親しくなるには、肌を合わせるのが一番手っ取り早かった。そして彼ならば、執着されることも執着することもないだろうと思えたのだ。
「人はそんなに簡単に割り切れるものではないだろう」
「らしくないな」
 ルードヴィヒの手が上衣にかかる。服を身に付けたままで、頂きを探られた。布ごと頂きを挟まれ、指の腹でくじられる。すぐに頂きはつんと勃ち上がり、着衣の上からでもわかるほどとなった。
「ディー、君は美しいな」
 言って、ディートルフの首に顔を埋めてくる。ルードヴィヒの白金髪が鼻先をかすめた。首筋の血管に沿って熱い舌が滑らされ、ディートルフはもはや立っていられなくなった。寝椅子に崩れるように腰を下ろす。
「僕がこれまで出会った人々の中で一番美しいとさえ思う」
 上衣が肩から抜かれ、腕の半ばまで下ろされた。ちょうど衣服が腕を拘束する形となり、抵抗を難しくさせる。ルードヴィヒは指を自分の口内に挿し入れて湿らせると、頂きの周囲を撫で回した。肝心な部分には触れず、焦らすような愛撫を続ける。
 遊び人というのは、むしろ奉仕する側なのだろう。だからこそ、皆、彼に夢中になるのだ。
「だが、すべてに醒めている」
 ディートルフはその言葉を否定することも肯定することもしなかった。
 さんざん乳輪を撫で回していた指がついに頂きに触れた。繊細な動きを見せる指が頂きを抓み、指の腹で円を描くように転がされると堪らなかった。ディートルフは白い喉を仰け反らせて喘いだ。
「皇女を」
 ルードヴィヒが耳元で囁く。
「皇女を所望するかい」
「……最後の…っ、駒を…皇帝が、手放すはずがなかろう」
 皇女を女帝にしようと言うからには、皇帝は二人の、しかも女児にしか恵まれなかった。小国の公子を皇女の婿に迎え入れ、今や遅しと孫の誕生を待ちわびていた。
 未来の女帝を姉に持つ、皇帝の最後の駒。その名はマリア・アンナ。二十一歳だった。
「姉姫の夫の弟に懸想しているそうだ」
 初耳だった。ルードヴィヒは何もかも見透かしているような表情を浮かべ、ディートルフの上衣を取り去った。
 ルードヴィヒは知っているのだ。自分の持つ情報がディートルフにとってどれほどの価値を持つのかを。決して口には出さず、互いに遊びの振りをしつつ、けれどもこの行為が取引であることは暗黙の了解となっていた。
 ルードヴィヒはディートルフを寝椅子に横たえると。
「皇女は小国の公子と結婚した。妹もその公子の弟と結婚したとしたら?」
 ディートルフの答えを待たず、ルードヴィヒは言った。
「帝国は孤立無援となろう。国というものは婚姻によってしか関係を作り出せないものだ」
 高度に政治的な話を語る唇とは裏腹、ルードヴィヒはディートルフの下衣の釦に手を掛けていた。ディートルフはされるがままとし。
「――旧い血には新しい血を入れた方がいい。その相手がちっぽけな国の公子であったとしても」
 釦が外され、下衣は膝下まで引き下ろされた。ルードヴィヒは膝頭に手を掛けると、容赦なく脚を開かせた。
「旧教徒は旧教徒としか結婚しない。王族は王族としか結婚しない。行き着く先は袋小路だ。スペインのハプスブルグ家が滅んだのは、おぞましいばかりの近親婚を繰り返したがためだろう」
 嫌悪を露わにディートルフは言った。
「苛立っているな」
 脚間で蟠っていた熱が温かな口内に含まれた。
「フランスの王女が手に入らないからか」
 中途半端に脚間で蟠っていたそれ。含まれれば、すぐに芯ある形となる。唾液をたっぷりと塗した舌で嘗め回され、張った部分を甘噛みされると、頭の芯が痺れるような感覚に襲われた。
「…ルッツ……ん…ッ……ああッ!」
 ルードヴィヒの白金髪を掴み、ディートルフは身悶えた。達する寸前で放り出され、息を付くと、再び熱い口内に含まれる。同性故の加減を知り尽くした口淫にディートルフは翻弄されていた。
「いつも醒めている君が王子の花嫁探しだけは必死」
「ん…っ…」
「君と本国の王子との関係も大いに気になるところだ」
「従兄弟だ。親しくて当たり前だろう」
 ルードヴィヒは下肢を寛げ、自身をディートルフの窄まりに押し当てた。昂ぶりが心臓の鼓動に合わせて熱く脈打っているのがわかる。
 恋愛感情はさておき、人と身体を重ねるのは好きだった。相手をより理解出来るような気がする。それが錯覚にすぎなかったとしても。
「王子には血統正しき姫が必要だ」
 ルードヴィヒは一息に腰を入れた。衝撃に顎が跳ね上がる。
「あ、ああッ……!」
 救いを求めるかのように伸ばされたディートルフの手にルードヴィヒは自らの手を重ねた。指と指とを絡めて繋ぎ、緩慢な抜き差しを始める。
「では、バイエルンの公女はどうだ。新教徒の王子と渋ることだろうが、私が口添えしよう」
「国を、…滅ぼしかねぬ、っ…バイエルンの王妃はいらぬ」
「イザボー・ド・バヴィエールか。大昔の話だ」
 淫乱王妃として名高い、シャルル六世妃、イザボー・ド・バヴィエール。フランスを滅ぼしかけたその王妃は、ドイツ語読みでエリザベート・フォン・バイエルン。その名の通り、バイエルン出身の王妃であった。
「――ヴィッテルスバッハは伝統的に美形揃いだ。ラインラントの王子の美貌を君の半分と差し引いたとしても、きっと見目麗しい王子と王女が生まれることだろう」
 ディートルフの腰を引き寄せると同時、ルードビィヒは自分の下肢を押し付け、二人は深々と繋がった。
「あ…ッ…ああ…あ……ッ」
「そして両国の間に絆が生まれれば、いつの日か君と再会することも出来るだろう」
 意外な発言だった。真意を確かめようと身を起こしかけたが、すぐにルードビィヒの精悍な身体が覆いかぶさった。膝裏に手を宛がわれ、腰を持ち上げられた。慣れた関係とはいえ、繋がっている部分を晒される羞恥心から、ディートルフは逃れるように腰を浮かした。
 逃げを許さず、硬くそそり立った屹立は肉襞を擦り上げ、ディートルフを容赦なく穿った。
「…ルッツ……!」
「ディー」
 囁き声は甘く、掠れていた。
「君は本当に悪魔だな。僕をこんなにも夢中にさせるなんて」
 うなじに手が当てられ、僅かに顔を上向かせられた。唇が重なり、合わせ目から舌が滑り込む。舌と舌を絡める深い口付けを交わしながら、ルードビィヒは腰を前後に動かした。上と下と、互いの粘液を繋がらせながら。
「人は――」
 擦られれば、背筋に快楽が駆け上る。相手の身体が知り尽くしているが故に、ルードヴィヒの技巧は実に巧みだった。
「美しいもの、新しいものを好む。フランス王も同様だ。ポーリーヌ・フェリシテは王を操れるかも知れぬ」
 奥まで挿れられたところでさらに腰を強く突き上げられ、ディートルフは軽い絶頂を得た。
「あ、ああ…っ…ああッ…」
「動向には注意を」
 好きにさせれば、情報を得られる。情報を与えれば、好きに出来る。だが、互いにそれを口にすることはしなかった。友情とも取引とも恋愛ともつかぬこの関係に線引きをする必要はないだろう。エスプリこそフランスの真髄。共に異邦人である二人だが、フランスに身を置く以上、そのことをよく知っていた。
「…ルッツ……、…もう、もう…っ」
 断続的に襲いかかる絶頂に身体を小刻みに震わせながら、ディートルフはルードヴィヒを求めた。
「く、うっ……!」
 耳元でルードヴィヒの呻きが聞こえたのと同じ時、身体の奥深い場所に熱い迸りが叩きつけられた。屹立は蠕動し、止め処なく精液を吐き続ける。
 熱い精液を受け止めながら、ディートルフはしかしルードヴィヒのことではなく、別のことを考えていた。





つづく
Novel