犯罪は貴族の愉しみ 3 |
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「ところで、その……何と言ったかな。そのご令嬢の名は」 「ブランダイナ嬢です」 「そうそう、そのブランダイナ嬢が君に相談を持ちかけてきたのだな。グレイブス男爵が命を狙われるのではないかと」 ブラックロックはかしこまって答えた。 「その通りです、主任警視」 ブラックロックの直属上司であるバスティン主任警視は深く息を吐くと、革張りの椅子にその身を沈めた。 「まったく前代未聞の事件だよ、ブラックロック。白昼堂々、天下のスコットランドヤードが襲撃されるなんて。ここは1930年代のシカゴかね。アル・カポネはどこだ?」 ブラックロックは主任警視の冗談に笑うことができなかった。つとめてさりげなく話を元に戻す。 「襲撃の手口といい、装備といい、プロの仕業のように思えますが」 「そうだろう。まさしくプロ中のプロの犯行だ。香港フラワーを隠れ蓑にする麻薬密輸組織同様に」 主任警視が意味ありげにつけ足した一言に、ブラックロックは片眉を跳ね上げた。 「男爵が捨て駒扱いだ。これまでに類を見ない大がかりな犯罪組織であることに間違いない」 「同感です」 「百人もの捜査員を投入しても、手がかり一つ掴めなかった。やっとのことでグレイブス男爵という糸をたぐり寄せたかとを思えば――」 ブラックロックは唇を噛んだ。 「断ち切られてしまいました」 主任警視は慰めるように。 「済んでしまったことだよ、ブラックロック。挽回の機会はまだあるさ」 ブラックロックが主任警視との会見を終えて部屋を出ると、壁際に慎ましく控えていたランツベルクが駆け寄ってきた。 「いかがでしたか」 「主任警視は引き続きこの事件を俺たちに任せてくださるそうだ」 「ありがたいことですが、責任重大ですね」 「まあな」 ブラックロックは天井を仰いだ。 「このところマスコミの糾弾も激しい。早いところとっ捕まえないと、ロンドン警視庁の信用は地に落ちる」 「もともと信用なんてないような気がいたしますが」 「ドイツ人特有の冷静さは時々鼻につくな」 ひょいと肩を竦めてみせて、ブラックロックはすぐさま話題を切り替えた。 「で、襲撃者たちの身元は割れたのか?」 「いえ、それが……」 二人が特捜機動課の大部屋に戻ると、ちょうど|お茶の時間《ティータイム》だった。 巡査が皆に紅茶のカップを配っていた。カップを受け取り、ブラックロックは大部屋の角にガラスで仕切られた四角い箱の中の自分のデスクに着いた。 「――それで?」 紅茶に口を付けながら、言い出しにくそうなランツベルクを促す。 「主任警視との会見中に匿名電話があったそうです。警視庁を襲撃した者たちについて心当たりがあると」 「タレコミとは結構だな」 「はたして信用できますかね」 「それが蜘蛛の糸のようにか細い線だとしても、ひとつひとつ丹念に手繰っていく他ないだろう」 「直接会って話をしたいと日時と会見場所まで指定して来ましたよ」 「いつ、どこでだ?」 「明日の午後四時。場所は――」 ランツベルクは意外とも思える場所を口にした。 「大英博物館(ブリティッシュミュージアム)です」 「さすがは発見と略奪の歴史博物館ですね。よくぞここまで集めたものと感心いたします」 シャンポリオンの象形文字解読の手がかりとなったロゼッタストーンをしげしげと眺めながら、ランツベルクが言った。 ブラックロックは肩越しに振り返ると。 「おまえとここでイギリスの植民地政策の非道さについて論じるつもりはないぞ」 「主任警部もお人が悪い。私はただ純粋に、英国人が他国の文化遺産に向けた熱情は素晴らしいと申し上げただけのつもりですが」 平日、それも閉館間際であったが、世界に冠たる大英博物館は人いきれに満ちていた。 「どういうつもりでしょうか。人目の多い場所をあえて指定してくるとは」 「一つはいたずらだろうな。待ちぼうけを食らうヤードの刑事を物陰から見て笑いものにしようという魂胆だ」 「もう一つは?」 「人目の多い場所でないとその身に危険が及ぶ場合だ」 「命を狙われると」 「どうやら秘密を握った人間は生かしておかない連中のようだからな」 電話を受けた巡査は必ず一人で来るようにと念を押されたという。ブラックロックはランツベルクと別れ、指定の場所へ向かった。 指定の場所は大英博物館一の人気を誇るミイラコレクション。世にも珍しい猫のミイラの前だった。 腕時計を見ると、ちょうど四時少し前。 猫のミイラが安置されたガラスケースの前で足を止めると、ブラックロックは周囲の様子を伺った。 ほど遠からぬ場所で、観覧者を装うランツベルクの姿があった。むろん視線を合わせることはしないが、いつもそばにいることが当たり前の相手が離れたところにいるのを見るのは奇妙な感じがした。 一人の男がブラックロックのすぐ脇を通り過ぎる。と思った瞬間、背中に何か固い物が押し当てられた。 「動くな」 大きさからしてデリンジャーだろう。ご婦人の護身用の印象が強い銃だが、至近距離から心臓を撃ち抜かれれば、ただではすまされない。 ブラックロックは目だけを動かしてランツベルクを見た。 視線が合った。 「そのままゆっくり向こうに――」 男が言い終わるよりも早くランツベルクが動いた。数歩の踏み込みで距離を詰め、男の手を払う。デリンジャーが床に落ちて転がる。 ブラックロックは鮮やかな肘打ちを男のみぞおちに叩き込んだ。 小さなプラスチックのケースに入った警察官の身分証明書を見せながら、男を壁際に引っ張っていく。 「現行犯で逮捕する。この後の発言はすべて書き止められ、証拠として扱われ……」 「主任警部!」 緊迫した声が上がったかと思うと、ランツベルクがブラックロックを男ごと突き飛ばした。 ほぼ同時に銃声が轟き、すぐ横のガラスケースが砕け散った。 ランツベルクは舌打ちすると、シャイセ!だの、フェァダムト!といったドイツ人らしい悪態をついていた。ブラックロックはランツベルクの身体の下から腹這いで抜け出すと、男の腕を捕えた。 「向こうも複数か」 男を盾とし、二人はガラスケースの陰に隠れた。 続けざまの銃声が空気を震わせる。 ガラスケースが砕け、ブラックロックは敵の本気を悟った。 まるで蜘蛛の子を散らすように展示室からは人がいなくなっていた。 「こいつを頼む」 ブラックロックは男の処遇をランツベルクに任せると、|肩吊り《ホルスター》から拳銃を引き抜いた。 ガラスケースの前に出る。 対角線上に男の姿があった。ブラックロックは引き金を引いた。 すぐに撃ち返され、跳弾が足をかすめる。 男は踵を返して展示室を出た。 ブラックロックはその後を追った。あちらこちらから悲鳴が上がる中、男は階段を駆け下っていく。 追いついたのは、ギリシア青銅器時代室の前だった。おびえる観覧者たちを尻目に二人は揉みあった。銃口を向けられ、腕を蹴る。男はわめいて拳銃を取り落とした。 それを拾い上げたのは、遅れてやって来たランツベルクだった。 頭をつかみ、床に叩きつけると、打ちどころが悪かったのか、男は気を失った。 「警視庁(ヤード)に連絡を」 遠巻きに見る警備員にブラックロックが言った。そこにランツベルクが口をはさむ。 「怪我人がいるようです。救急車も」 「あの男は?」 人差し指を上げて、階上を示す。 「警備員に引き渡してきました」 後ろ手に手錠をかけた男を柱の影に転がすと、ランツベルクは懐から黄金(きん)のシガレットケースを取りだした。 「一服どうですか」 ブラックロックはそれを受け取った。口にくわえるや、S・Rのイニシャルが刻印されたコリブリのライターが点火される。 吐きだした紫煙はゆっくりと高い天井に立ち昇り、細くたなびいては消えていった。 「目的は何だと思う?」 ランツベルクは首を傾けた。 「まさか殺しが目的じゃないだろう。デリンジャーで人を殺そうなんて噴飯ものだ」 「捜査の進捗を知りたかったのでは?」 いらだちもあらわにブラックロックは言った。 「こんな人目につく場所で、か?」 パトカーのサイレン音が遠くから聞こえてきた。 ブラックロックは現場に到着した警察官たちに身分証を見せると、 「上にもう一人いる。ランツベルク、付いて行ってやれ」 「主任警部殿、主任警視殿がこちらに向かわれているそうです」 出迎えに行こうと、ブラックロックはギリシャ青銅器時代室を出た。 館内は騒然としていた。好奇心から展示室をのぞき込んでいる者がいるかと思えば、親に手を引かれた子供が足早に出口に向かっている。 貧血でも起こしたのか、赤毛の女が一人、ブラックロックの目の前で足をもつれさせた。とっさに腕を差し伸べる。 「大丈夫か」 「ありがとうございます、ミスター」 次の瞬間、後頭部に痛みが走り、ブラックロックは前のめりに倒れた。 ――まだいたか! 「あら、ミスター、ご気分でも?」 蠱惑的な女の声をどこか遠いことのように感じながら、ブラックロックは意識を失った。 |
つづく |
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