犯罪は貴族の愉しみ 5





「おまえは指示されたことだけを言えばいいんだ。ちょっとでも無駄口を叩いてみろ。この女の頭を吹っ飛ばすぞ」
 ダイヤルを回しながら、ウォートンが釘を刺した。
 ブラックロックは頷き、ブランダイナの様子を見た。恐怖に顔を引きつらせてはいるが、取り乱してはいないようだ。これなら連れて逃げられるだろう。
 受話器が突きだされた。
「話せ」
 受話器に耳を当てると、当直巡査の声が流れてきた。
「俺だ」
 その第一声で、巡査は電話の向こうの相手が誰であるか察したらしい。ご無事ですか、主任警部。今どこに――、矢継ぎ早に尋ねる巡査を無視し。
「主任警視はいるか」
 ウォートンが満足げに相好を崩す。

 ブラックロックは意識を取り戻してから今までの間、少しずつ縄の結び目を緩めていた。
 オツムの弱いチンピラだけに縄の縛りが甘かったことも幸いした。
 好機と見るや、一気に引き抜き、縄を解いた。

 ウォートンの肝臓(キドニー)を狙って拳を叩き込む。よろめいたところを二度、三度と殴りつける。
「――離れてろ!」 
 ブラックロックはブランダイナにそう告げると、黒革張りの椅子を持ち上げ、赤毛の女目がけて振り下ろした。
 椅子はバラバラになって壊れ、女は昏倒した。
 ブラックロックは駆けだしながら、ブランダイナの手を取った。
 ウォートンは床にうずくまったままだ。
「車はあるか?」
「ガレージに」
 応接間を出ると、そこは見覚えのある玄関ホールだった。
 ブラックロックはブランダイナを連れてグレイブス邸を飛び出した。
 日はとっぷりと暮れていた。息を荒げて、真っ暗な庭を走る。ガレージに続く道の両脇には、イングリッシュ・ポーター形式の花壇が作られていた。
「きゃっ!」
 ふいにブランダイナが悲鳴を上げた。花壇に足を取られて転倒したのだ。ブラックロックは足を止め、具合を見ようと身を屈めた。
「そこか!」
 声と共に銃弾が撃ち込まれ、ブラックロックはブランダイナを抱きかかえると、花壇に飛びこんだ。
 どうやらウォートンは自分たちを見失ったらしい。怒声を上げながら、まったく見当違いの場所を撃っている。
「ここに隠れていろ。決して動くな」
 ブランダイナに小声で注意をすると、ブラックロックは花壇から這いだした。

「|主よ《 Oh Load! 》」
 思わず呟いてしまった。
 ウォートンがすぐそばに立っていたからだ。
 ブラックロックはポケットに手を入れた。そこにはいついかなる時も決して手放さないロザリオがある。それを手繰りながら、祈った。

―― We know that we are of God, and the whole world lies in the power of the evil one.
(わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。)

 そしてブラックロックが徒手空拳でウォートンに躍りかかろうとした、まさにその瞬間。
 エンジン音が響いた。
 門をぶち破って飛びこんできたのは、ビートルだった。ナンバーを確かめるまでもなかった。それはランツベルクの愛車だった。
 ブラックロックは唇を歪めて笑った。
 ビートルは砂利を踏みしだき、庭園に突っ込んだ。躊躇することなくウォートンを跳ね飛ばし、完全には停まっていないビートルの運転席から飛び降りた。
「ご無事ですか、主任……」
 警部と続けようとしたところに銃声が轟いた。
 ランツベルクは振り向き、拳銃の引き金を引いた。
「ひっ……」
 ウォートンにケイと呼ばれていた女は腕を射抜かれて悶絶した。
「武装許可は後で取れば良い。――昔頂いたご忠告が今こそ役に立ちました」

 拳銃を肩吊り(ホルスター)に戻しつつ、ランツベルクはブラックロックに向かって微笑した。その微笑が不自然な形で凍りついたのは、その直後。
「……?」
 ブラックロックは首を傾げた。ランツベルクが信じられぬというように琥珀の瞳を見開き、自分を凝視しているのだ。
「動かないで」
 ブラックロックの後ろで美しい女の声が上がった。

 その声に反応して、ランツベルクは再び肩吊り(ホルスター)に伸ばしかけていた手を止める。
「動いたら、主任警部の命はないと思いなさい!」
 ブラックロックの背に何か固い物が押し当てられた。肩越しに振り返る。
 血が凍った。 

 ブラックロックの背後にはブランダイナが立っていた。
 唇に不気味な三日月形の笑みを浮かべ、ブラックロックに拳銃を突きつけて。
 ブランダイナは歌うように言った。

「案外、鈍いのね」





つづく
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