犯罪は貴族の愉しみ 6 |
---|
「銃を捨てていただけるかしら、部長刑事さん」 ブランダイナは悪魔のような微笑を浮かべ、ランツベルクに希望の体裁を取った命令を下した。 けれどランツベルクは憤怒に燃える瞳でブランダイナを睨みつけるだけで、命令に従おうとはしなかった。 「ポーズだと思っているの? 私、射撃の腕前には自信があるの。至近距離なら、まず心臓は外さないわ」 ランツベルクは拳銃を肩吊り(ホルスター)から引き抜くと、地面に叩きつけた。 「いい子ね、部長刑事さん」 ブランダイナは銃口をブラックロックの背に押し当てたまま。 「ガレージまで付き合って頂けるかしら。あなたを解放した途端に襲われるのは真っ平ですもの。――ウォートン!」 女が叫ぶと、ゆらり、とウォートンが姿を現わした。髪は血まみれで、歯は欠けていたが、驚くべきことにまだ動けるようだった。 ブラックロックはもはや黙っていることができなかった。 「大した役者だな」 「お褒めに預かって光栄ですわ。私、王立演劇アカデミーに通っておりましたの」 口をはさんだのは、ランツベルクだった。 「十八番を当てて差し上げましょうか」 ブランダイナはくすくすと笑いながら。 「何だと思って?」 ランツベルクは冷ややかに。 「マクベス夫人です」 悪女の代名詞と言うべき役を口にされ、ブランダイナは狂ったように笑い出した。 ひとしきり笑った後で、冷たく。 「ウォートン、その部長刑事さんの始末は貴方に任せるわ。好きに料理なさい」 ブランダイナが言い終わるよりも早く、ウォートンがランツベルクに襲いかかった。ランツベルクは殴られて後ろに吹っ飛び、背中から地面に倒れた。倒れたとこで胸倉をつかみ上げられ、再び殴られる。 「ランツベルク!」 思わず飛び出したブラックロックの耳元で銃声が鳴る。 「言ったでしょう、主任警部さん。ガレージまで付き合って頂くわ」 硝煙の立ち昇る銃口をちらつかせて、ブランダイナは凄みのある声で言った。 ブラックロックは断腸の思いで、ガレージに向かって歩き出した。背後で上がる鈍い音には耳を塞いで。 「ひとつ、聞かせてくれ」 ブラックロックは歩みを緩めぬままに言った。ブランダイナの許可を待たず。 「どうしてヘンリー・グレイブスを見殺しにした。実の兄だろう」 それを聞いて、ブランダイナは笑った。 「残念ね、本物のブランダイナは前男爵の離婚した妻が連れて出て行ったきりよ。私はヘンリーの愛人だったの。そうね、好きだったこともあるけれど――」 ふいに風が吹き、庭園に咲き乱れる薔薇が甘く、香った。 「いつか殺すつもりだったわ」 ブラックロックはぶるりとその身を震わせた。それは肌寒さのためか、それとも魔性の女への畏怖のためか。 「麻薬密輸はさる若き公爵さまのご発案だったの。公爵さまは私を信用されて、すべてを一任してくださったのよ。ヘンリーもそう。馬鹿な男ね、裏切りさえしなければ、もう少し生きられたのに」 ブランダイナはひどく楽しそうに言葉を紡いだ。 ブラックロックは全神経を集中させて、ブランダイナの話を聞いていた。 「捜査がどこまで進んでいるか探りを入れるために貴方たちに近付いたの。貴方たちが私を露ほども疑わないのを見て、心の中で笑っていたわ」 ガレージに到着し、ブラックロックは足を止めた。ガレージにはベントレーのスポーツカーが停まっていた。 「ありがとう、主任警部さん。助かったわ」 礼を述べてはいるものの、その言葉には人間らしい温かみは微塵も感じられなかった。 「どうやらここでさようならという訳にはいかないようだな」 「勘が良いのね、ハンサムな主任警部さん」 背中に押し当てられていた銃口が異動する。 背中から、頭へと。 引き金に指がかかり、ブラックロックは身体を強張らせた。 「私のために死んでくださる?」 物音がしたかと思うと、振り下ろされる刃のきらめきが目を灼いた。 とっさに状況を把握したブラックロックが慌てて飛びのく。 血飛沫が飛んだ。腕を斬られて、ブランダイナは拳銃を取り落とした。 「ランツベルク!」 どこで手に入れたのか、ランツベルクが手にしていたのは、時代物のサーベルだった。ウォートンと一戦交えてきた後らしく、服のあちこちは破れ、ところどころ血に染まっている。 「いやっ!」 悲鳴を上げて逃げ惑うブランダイナを怒りに我を忘れたランツベルクが追いすがる。 再び白刃が閃いた。 ブランダイナはハツカネズミのような敏捷さを発揮して難を逃れたが、サーベルの切っ先はベントレーのボンネットを突き破った。 その隙を逃さず、ブランダイナはベントレーの運転席にすべり込んだ。 エンジンがうなりを上げ、ベントレーは猛然と発進した。 ブラックロックはブランダイナが取り落とした拳銃を拾い上げると、ランツベルクの脇をすり抜けざまに言った。 「ついて来い、追うぞ!」 ビートルに戻ると、ボンネットの上でウォートンが伸びていた。ブラックロックはウォートンをボンネットから蹴り落とすと、助手席のドアを開けた。間、髪を容れず、ランツベルクが運転席に飛び込んでくる。 エンジンを稼働させ、ランツベルクはビートルを発進させた。花壇を踏みつぶし、最短ルートで門に向かう。 グレイブス邸を出るや、床までアクセルを踏み抜いた。 周囲の景色が凄まじい勢いで後ろへ流れていく。視界が狭まり、Gが身体を圧迫する。 ランツベルクの無謀な運転が功を奏し、やがてビートルのヘッドライトがベントレーを捉えた。 幅寄せしようにも、車一台が通るのがやっとの坂道だ。二人はじりじりしながら付かず離れずの車間を保った。 「――さる若き公爵さま」 ブラックロックは言って、運転席のランツベルクを見た。 「こいつはおまえの方が専門だろう。さる若き公爵さまとは誰のことだと思う」 「英国で若いと言える公爵は一人しかいませんよ」 ランツベルクは忙しなくギアを変えながら。 「サンダーランド公爵です」 ブラックロックはその名を聞いてしばし考え込んでいたが、ややあってランツベルクに確認を求めた。 「国防省の?」 ランツベルクはその言葉ですべてを察したらしかった。 「公爵とはウィーンでお会いしたことがあります。そうですね、彼ならやりかねないでしょう」 「そうか」 前方を走るベントレーは尾根を越える広い道路に滑り込んだ。緊張がみなぎる。 「幅寄せして車を停止させる。出来るな?」 「ご命令とあれば」 そう請け負うと、ランツベルクは目一杯アクセルを踏み込んだ。ほどなくしてビートルはベントレーと肩を並べた。 ビートルをベントレーに寄せる。衝撃と同時に金属音が響き、接触した部分から火花が飛んだ。 ブラックロックは眉をひそめた。これで怯むものとばかり思っていたのだが、ベントレーはいっかな速度を緩めない。 「どういたしますか」 その思いはランツベルクも同じであったらしく、ブラックロックに伺いを立てた。 頑丈さには定評のあるビートルだが、排気量5000tのスポーツカーとまともにやりあって勝てるはずがない。 ブラックロックはブランダイナから奪った拳銃の弾数を調べていた。 決意を固めて口を開く。 「追い越せ。俺に考えがある」 ランツベルクは頷くと、ビートルを急加速させ、ベントレーを追い越した。 ブラックロックは助手席の窓から大きく身を乗り出し、銃を構えた。 「一発で決める」 誰にともなくそう宣言した。 腕を伸ばして、慎重に狙いを定める。 狙いはベントレーのボンネットの横筋だ。 銃声が轟いた。 走行風に煽られ、ベントレーのボンネットが跳ね上がった。ベントレーは視界を塞がれて、たまらず急停止した。 「やったか!」 ブラックロックは諸手を挙げて喜び、ランツベルクはビートルを停止させた。 喜びもつかの間、ブラックロックは全身の毛が逆立つような恐怖に襲われた。 突如合流してきた後続車は充分な車間を取っていなかったらしい。ベントレーの急停車に対応しきれず追突した。 ベントレーは尻を押されて道路を飛び出し、ビートルの横腹を突いた。 何とも運の悪いことに、橋の上だった。 ビートルは橋の欄干へ向かって突き進み――。 「ランツベルク! 」 「大丈夫です、主任警部。フェルディナント・ポルシェ博士は天才です」 何を言って……、と口にしようとしたが、間に合わなかった。 ビートルは橋の欄干にぶち当たり、転落した。眼下には黒々とした流れが広がっている。 そして、世界は暗転した。 |
つづく |
Novel |