狭間の刻 5





 フィリップは松明の明かりを頼りに陣屋を歩いていた。
 陣屋とは戦場に張る天幕のことである。
 頭上に広がるのは、月のない闇夜。
 アシルの同室者とは話を付けていた。アシルと話があるから天幕を代われ、と。むろん無償ではない。居館でもアシルと同室だったその騎士は女の肉の味を知ったばかりで、既にしてそれに溺れていた。フィリップから金貨を受け取るや、嬉々として娼館に走った。
 フィリップは天幕とは離れた場所に松明を置くと、息を潜めてアシルの天幕へ入った。
 垂れ布を下げてしまえば、天幕の内は文目も分からぬ闇の中。フィリップは手探りで奥へと進んだ。
 寝息を頼りにアシルの所在を突き止めたものの、フィリップはそのまま動けずにいた。
 が、騎士たるアシルはすぐに人の気配に気付いた。
「誰だ?」
 誰何の声に応える勇気はなかった。
 ままよ、と褥に身体を滑り込ませた。
 フィリップはアシルに寄り添ったままで、身体を硬直させていた。
 再び問われたら何と応えようか。そればかりが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
 長い沈黙の後、アシルが深い溜息を付くのが聞こえた。  
 次の瞬間、フィリップはアシルの胸の中に抱き寄せられていた。
 唇が重なり、アシルの舌が滑り込んできたその時、雷に打たれるが如くの衝撃が走った。
 それはフィリップが生まれて初めて触れたアシルの唇だった。
 フィリップは呆然としながら、アシルの舌を受け入れた。
 まるで夢を見ているようだった。アシルがその逞しい腕に自分を抱き、唇を重ねている。
「っ……」
 アシルの舌技は巧みで、フィリップはすぐに息を乱した。
 舌はまるで別の生き物のように蠢き、フィリップを翻弄した。熱い舌に絡め取られ、強く吸われると、全身の力が抜けた。
 裏腹にフィリップのそれは固くそそり立った。
 暗闇の中、手探りで、互いに服を脱ぎ捨てた。アシルの胸筋は逞しく、フィリップを歓喜させた。
 仰臥したフィリップの腿に手が掛かり、左右に割り広げられた。
 暗闇で良かったと切に思った。アシルに自分の顔を見られたなら、きっといたたまれなくなっただろう。
 熱く濡れたアシルの舌が窪みに触れた。尖った舌先で突付かれ、襞の一つ一つを伸ばすように舐められると堪らなかった。
 友に嬌声を聞かれることを恐れ、フィリップは血が滲むほど強く唇を噛み締めた。
 過ぎる快楽に身体ががくがくと震えているのが自分でもわかった。フィリップの屹立は震え、先端から蜜を零した。
 襞を丹念に舐められ、柔らかく綻びた秘所にアシルの指が挿し入れられた。指はゆっくりと奥に進んで行き、浅い部分でそれを抜き差しされる度に、フィリップはひどく身悶えなくてはならなかった。
 しかし待ち望んでいたアシルのそれが押し当てられると、未知なる感覚への恐れから、身体は逃げを打つ。
 拒絶の気配が伝わったためだろう。アシルは戸惑いを隠せない様子だった。

――何を恐れることがある。
長い間求めていた、夢にまで見たアシルの身体だ。

 フィリップは覚悟を決めると、アシルの逞しい背に手を回した。焼けつくような羞恥心を堪えて、両脚を開く。
 狭い内壁を押し開き、圧倒的な熱と質量を持つそれがフィリップの中に入って来た。
 アシルはまず先端だけを含ませ、フィリップの腰を抱え上げると、一息に貫いた。
 それはフィリップの想像していたものとは異なっていた。
 快感よりもむしろ痛みが勝った。
 しかし愛する男に身を貫かれるその行為は、フィリップに堪らない満足をもたらした。
「……ッ……」
 声を出すことは憚られた。
 喘ぎ声一つ、その名一つを呼ぶだけでも、アシルが目の前から消え去ってしまうような気がしたからだ。
 あまりに長く、あまりに近くに居過ぎたために、互いの身体を求めることがまるで禁忌のように感じられた。
 律動が始まった。
 アシルの厚い胸板がフィリップの騎士にしては薄い胸と触れ合う。繋がりあった下肢の痛みは生木を裂かれるようだったが、胸と胸が擦れ合うその感触がフィリップの情欲に火を点けた。
 アシルの背は広く逞しい。背の古傷さえ愛おしく、フィリップは指先でそれらをなぞりながら、アシルを受け入れていた。
 アシルはフィリップの膝を折ると、腰に両脚を巻きつけさせた。律動は激しく力強く、まさに戦場にいる時の猛々しさそのままだった。
 二人は闇の中で交わった。そこに甘い睦言はなく、聞こえるのは、肉と肉とがぶつかり合う卑猥な音と荒い息遣いだけ。
 それでもフィリップは満足だった。
 このまま溶け合ってしまえれば……とフィリップは思った。
 絡み合った舌を、繋げた下肢を、擦れ合う頂きを、そのすべてを溶かし、アシルと一つになりたかった。
 身体の上にアシルの重みを感じながら、フィリップもまた激しく腰を動かした。屹立は張り詰め、頂きは上向いた。
 ついにその時が来、アシルは大きく震えたかと思うと、白濁を吐き出した。どく、どく、と注ぎ込まれる精液は火傷しそうなほど熱く、フィリップの身体と心を満たした。
 悦楽は長く尾を引き、フィリップは褥に伏し、醒めやらぬ絶頂感に身体を小刻みに震わせていた。
 その時だった。
 突然、天幕の垂れ布が捲くり上げられたのだ。
 フィリップは息を詰めた。
 他人の情事は見て見ぬ振りをするのが、騎士の倣い。だが、入り口の気配はいつまで去らなかった。
 長い時間が経ったような気がしたが、実際はごく短い間だったのだろう。
 垂れ布が元に戻された。
 汗が徐々に冷え、あれほどまでに激しく求め合ったことがまるで嘘のように、互いの身体が冷えていく。
 アシルは言った。
「誰、……だ」
 そしてアシルの手がフィリップの髪に触れた。触れ、そして手触りを確かめるように撫でられた。その手の動きが止まる。
 どうしてアシルはもう一度尋ねたのだろう。
 天幕の垂れ布を捲くり上げたのは――? 
 答えは火を見るよりも明らかだった。
 アシルはフィリップを誰かと取り違えたのだ。
 フィリップは手探りで衣服をかき集めると、転がり出るようにして天幕を後にした。全裸に近かったが、人目を気にする余裕はなかった。
 幸い、そんなフィリップを見咎める者はいなかった。





 城壁の影で衣服を身に付け、漸く息を付くことが出来た。
 見上げれど、月のない闇夜。
 自分はきっと泣くだろうと思った。
 だが、不思議なことに涙は出てこなかった。

――いや、理由など何でも良い。

 フィリップは思った。

 明日死んでも悔いはない、と。





つづく
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