下弦の月 9





 行成は俊賢の前に跪いていた。
「行成……」
 両の手で俊賢を持ち、おずおずと口に含む。
 俊賢のそれは大きく、行成の口には余った。
 一旦唾液で濡らし、眩暈がするような羞恥を押し殺して、下方より舌を使って舐め始める。
「良い。そなたがそのようなことを……、…ッ、…」
 行成は目を伏せたまま、無心で俊賢を舐め続けた。帳台の帳の下、ぴちゃ、ぴちゃと卑猥な音が響く。
 自分の口淫はさだめし稚拙なことであろう。今まで、実方にすら自らはしたことのなかった行為だった。
 事実であった多忙を理由に、行成は俊賢と私的に会う事を避け続けてきた。しかし避けきれなくなった今、後ろめたさに耐えられなかった。
 その後ろめたさを誤魔化すように、行成は口淫に没頭していた。
 再び大きく口を開いて咥えると、溢れた唾液が喉にまで伝った。いきり立ったそれが喉奥に当たり、思わずえづく。
「良いのだ、行成……っ」
 行成は首を振り、喉奥で俊賢に刺激を与えるようにした。膨らみきった亀頭が舌を押さえ込み圧迫する。
「ああ、行成、もう……っ」
 我慢の限界が来たのだろうか、俊賢は行成の頭に手を掛け、引き離そうとした。
「大丈夫だ。飲…」
 行成は再び首を振った。
 極限まで膨れ上がった俊賢のそれは、どく、大きく震えたかと思うと爆ぜ、熱い白濁が行成の口一杯に広がった。
「んぅ…ッ、…」
 刺すような苦みのあるそれを飲み込もうとしたが上手く行かず、行成は噎せた。零してしまわぬよう口を押さえ、すべてを嚥下してしまうと、ふいに俊賢に抱き寄せられた。
「――俊賢殿」
「会いたかった」
 見上げれば、そこに親友の顔があった。なぜかまともに顔を見ることが出来ず、行成は視線を逸らせた。
「私がどんなに貴公に会いたかったかわかるだろうか」
 俊賢は体勢を整えると、行成を膝の上に乗せた。衣に焚き染められた香は沈香で、心落ち着かせるその香りはいかにも友らしかった。
「月が綺麗だ。今宵はこうして話をしよう」
 真夜中の南庭の空に登るのは満月で、二人で明け方に見た下弦の月からの日数を如実に物語っていた。
「満月は閨の秘め事を暴き立てる無粋な月とばかり思っていたが――」
 俊賢は眩いばかりの月の光に照らし出された行成の顔を眺めながら。
「そう悪くもないな。こうして貴公の顔を見られるのだから」
 俊賢は手を伸ばし、暫く行成の頬を撫でていたが、ふいに暗い顔つきとなり。
「貴公は私を軽蔑するだろうか」
 何のことか、行成は視線で俊賢に問いた。
「先日高松殿に呼ばれたのだ」
 俊賢の異母妹であり道長の妻でもある源明子。俊賢の父、源高明の邸である高松殿に住むことから高松殿と呼ばれていた。
「高松殿は私に打ち明けた話をなされた。道長は何かにつけて鷹司殿を贔屓なされる。鷹司殿は醍醐天皇の弟の敦実親王の孫に過ぎず、醍醐天皇の孫である自分の方が血筋の上では遥かに勝っている。なのに何故鷹司殿の子ばかりが優遇されるのかと」
 道長は二人の妻を持っていた。最初に娶った妻が鷹司殿こと源倫子。二番目に娶った妻が高松殿こと源明子。だが、娶った順番とその妻の地位は必ずしも一致しない。貴族社会においては血筋が何よりも物を言うのである。源明子の立腹はもっともな話であった。しかし。
「むろん高松殿も理解されていた。すべては我らが父、源高明のせいであると」
 大宰府に配流された源高明。その失脚は俊賢の出世の大きな妨げとなった。それは源明子の場合も同じであろう。
「異母の兄妹などしょせんは縁の薄いもの。だが、高松殿の母の愛宮殿は我が母と姉妹であった。高松殿は異母妹であると同時、私の従兄妹でもある。その高松殿が言われたのだ。我ら兄妹は力を合わせ、父の汚名を雪がなくてはならない。そのためには」
 行成はすべてを察した。次に俊賢が発する言葉さえも予想が出来た。
「内の大臣(伊周)の敵に回れとは言わぬ。ただ道長殿の敵にはなってはくれるなと」
 やはり――、行成は目を閉じた。
 道長。
 何と人心を掴む術に長けている男だろう。
 寵を競う女人の心を利用し、俊賢の胸に刺さった棘である源高明を使って、俊賢を操ろうとしている。自分に藤原義孝を使ったように。
 俊賢は行成をひしと抱いた。密着した衣を通して俊賢の微かな震えが伝わってくる。いつも頼りがいのある歳上の友は時折こうした弱さを見せる。けれど行成は決してそれを怯懦ゆえのものとは思わなかった。
 この気持ちは誰にもわかるまい。
 行成は昏い気持ちで思った。
 自分たちのように暗く細い道を歩いていた者以外は、誰にも――。
 俊賢をその暗く細い道から引き上げたのは、伊周の父である道隆であった。道隆は苦悩の中にあった俊賢を蔵人頭に推挙したのだ
 余人にはわかるまい。俊賢がどれほど道隆に感謝したことか。伊周に恩義を感じていなくとも、その道隆の血筋に繋がる者を裏切ることがどれほど辛いことか。
 行成は俊賢の気持ちが手に取るようにわかった。なぜなら、行成もそうであったからだ。友はかつて笑ってこう言った。
――比叡山で君の吉夢を見たよ。
 そう、自分も。
 自分を見出してくれた俊賢にならば、八つ裂きにされても構わないのだから。
「俊賢殿」
 行成は俊賢の背中に手を回し、抱き返した。
「彰子殿はお幾つになられる」
 それは鷹司殿が産んだ道長の長女の名前であった。
「数えの八つであったかと」
 行成はほっと安堵の息を付いた。
「まだ入内は出来ぬ。よしんば入内したとしても、未だ子は成せぬだろう」
 行成は畳み掛けるようにして言葉を連ねた。
「彰子殿が入内を果たす前に、定子殿が男皇子をお産みあそばされ、そして伊周が道長に足元を掬われることさえなければ、中関白家は此度の窮地を脱せるだろう。それ以上は」
 行成は珍しくも語気を荒げた。
「我らの与り知らぬことだ」
 我らに関わってくれるな、道長、伊周。
 他人を蹴落とすことも、余人のご機嫌取りもしたくない。
 すべて達観し、淡々と生きて行きたいだけなのだ。


 月は行成の願いも知らず、静かに南庭を照らすばかりだった……。







 
つづく
Novel