月虹 2






 旧暦六月。
 汗ばむ夏の夜であった。
 話し合いは平行線のまま、既に深夜。
 釣灯籠の吊られた簀子縁で、行成と道長は向かい合って座っていた。
「もし、このまま皇子がお生まれにならなければ……」
 公卿を自分の味方につけるために道長が入内させた二人の女御。しかし主上の定子への思いは断ち難く、二人の女御への渡りは間遠だった。
「帝位は再び冷泉帝の血筋に戻りましょう」
 奇行で知られた冷泉帝。そしてその皇子である花山院は女狂い。
 主上の父である円融天皇は冷泉帝の弟だが、円融天皇、その皇子である主上共に素行に問題はない。そして花山院の母は行成の父の同母の姉。狂気の因子が冷泉帝の血にあることは明らかだ。
「そして貴方様の娘は未だ幼い。成人するまで主上を待たせ続けることは出来ますまい」
「知っておるわ」
 道長は苦々しい顔つきで言った。
「だが、愛すべきではない女を愛せば、世の秩序を乱し、世間から非難を浴びよう」
「すべて承知の上であられるかと」
「ふん……」
 一度出家した者を再び入内させるなど前代未聞。だが、主上の意思は固い。道長とてわかっているのだろう。いずれは認めなくてはならないということを。
 道長は手なぐさみに扇を開いたり閉じたりの動作を繰り返していたが。
「一晩」 
 唇に緩い笑みを称えて行成を見遣る。
「そなたを自由にさせて貰えるなら」 
 行成は弾かれたように顔を上げた。
「出家者の再入内など前例なきこと。貴族からどれほどの顰蹙を買うことか。左大臣たる私もまた非難の矢面に立つこととなろう」
 苦悩する主上の心中を思えば、沈黙せざるを得なかった。
「その見返りを求めるのは果たして強欲か」
 行成は考え、やがて言った。
「――許す、と仰って下さるのならば」
「何をしても構わぬのか」
 俯いた行成を見、道長は喉奥で笑い声を立てた。





 じじ……、燈台の燈芯が焼ける音がする。
「ようやくここまで漕ぎつけた」
 単衣(ひとえ)の襟元から差し込まれた手。指先が肌を弄り、巧みに頂きを探り当ててくる。行成は内心の嫌悪を押し殺し。
「左の大臣、どうかお約束をお忘れなきよう」
「言われずとも」
 罰するように頂きを抓まれる。
「…ッ……!」
 頂きの周囲を撫でられ、指先でこすりあわされるように動かされると堪らなかった。ぴくり、と身体が反り、期せずして晒してしまった首筋に道長の息がかかった。
「虫も殺さぬ顔をして」
「…ああ…ッ…」
 つっ、生温かい舌が耳の下から鎖骨に掛けて這っていく。道長の愛撫は巧みで、かつ容赦が無かった。脚間のそれに熱が凝るのが自分でも判った。
「思った通りだな」
 刺激を与えるように首筋に軽く歯が立てられた。背筋をぞくぞくと走り抜ける快楽に行成は訳もわからず首を振る。
「源宰相」
 その名を告げられ、かつて道長とだけは寝てくれるな、と懇願した親友の顔が脳裏に浮かんだ。
 赦してくれ、すべては主上のためなのだ。
「それともかつての内大臣か」
 かつての内大臣、それは道長が追い落とした政敵、伊周のことであった。
 思い起こせば、宮中で伊周に狼藉されそうになっていた自分を救ったのは、この道長であった。それほど前のことではないというのに、何故か遠い昔のことのような気がしてならなかった。
「どちらなのだ? ここまで感じやすい身体を作ったのは」
 行成は答えなかった。
 道長もそれ以上追求することはせず、行成の肩から単衣を落とした。燈台の朧な灯りが行成の裸体をほの白く浮かび上がらせる。
「そなたの姿を見るといつも右近少将を思う」
 右近少将、藤原義孝。伝説的な有名人を父に持つというのは奇妙なものだ。若死にと言うのは、人にある種の感慨を引き起こすのだろう。誰しもが父の名を口にし、噂する。自分の記憶にすら残っていない父のことを。
 道長はその父の従兄弟であった。
 そう、通う女も、妻も子も、政敵も友も、皆藤原と源。それが宮廷、それが都だ。
 宮廷は、都はさながら箱庭のよう。その狭い箱庭で皆愛し憎み合う。誰であれそこから逃れることは出来ない。
「あの右近少将が生きていれば、果たして私など足元にも及ばなかったかもしれない」
 行成は瞳を伏せ、思った。
 そう、そして父は道長と同じ左大臣に、自分はかつての伊周と同じ内大臣になっていたかもしれない。
「そなたをこの世に残したのが、せめてもの慰みだな」
「人を擽るのが上手な方だ」 
 道長は行成を抱き抱え、自分の膝の上に乗せた。
 耳の縁を舐められ、耳朶を甘噛みされ、吐息を耳の中に吹き込まれた。
「ぅ…ふ…」
 反射的に身を捩るが、再び抱き寄せられ、道長の執拗な愛撫は続いた。おぞましさに総毛立ったが、固く目を閉ざしてそれに耐えた。
「見るがいい」
 道長は容器の蓋を開くと、行成にそれを見せた。
 香油だろうか。淡い琥珀色をした液体だった。甘く、それでいて刺激的な香りが鼻に付く。
「これを使うのはそなたが始めてだ」
 道長は香油を掌に移すと、両膝を割り、脚間に手を滑り込ませた。
「あ…、熱…っ……」
 掌が触れていった場所はすぐに熱を持つ。香油を肌に揉みこむようにして広げられると、熱の範囲もまた広がっていった。
「丁香油だ。道真公が廃した遣唐使船の荷にあった。もう二度と手に入らぬ」
 秘所に指先が触れたかと思うと、つぷり、と挿し込まれた。 
「あ、ああッ!」
 意識せぬまま、嬌声が漏れてしまう。行成は直ぐに恥じて唇を噛んだ。
 一度引き出され、驚くほど繊細な動きを見せる指先が秘所の周囲を宥めるように撫でた後、再び突き入れられた。
「あぁっ…ぁ…」
 行成は道長の肩に頭を付け、白い喉を晒した。
 指はさらに足され、二本となった。香油の滑りの力を借りて出し入れが容易となったそれが思うさまに行成の内壁を蹂躙する。ついに喘ぎ声を押し殺すことが出来なくなり、行成は自らの手で口を塞いだ。
 心臓の鼓動は早鐘を打ち、秘所ばかりではなく、身体も熱く、疼いていた。指が内壁を引っ掻くような動きを見せるのが堪らない。
 道長の熱く昂ぶった物が臀部に押し当てられた。行成は覚悟を決めて身体の力を抜いた。
 主上の絶対の孤独。それを私の身体で購えるというならば――。
 ついに道長が行成の内に入ってきた。それと同時、手首を掴まれ、口を覆っていた手が外された。
「ああッ…!」
「よい声だな。もっと」
 より深い場所を求め、突きながら道長が言う。
「聞きたくなる」
「あ、あああッ……!」
 行成は絶望から瞳を見開いた。
「――覚えているか。紫宸殿の南庭で行き会った時のことを」
 ふいに律動が止まった。
 行成は肩で荒く息をしながら。
「覚えて、…おります。橘の…」
「そう、私は橘の花にそなたを喩えた。そして言った。凡人はそなたの魅力に気付かぬと。だが、今は違う」
 道長は揶揄うように行成の腹部を撫で、薄紅色に色づく両の頂きに触れた。ぎゅっと摘み上げられ、香油で滑る指の腹でくじられる。
「澄ました顔で主上の言葉を告げるそなたを、一体何人の公達が頭の中で犯していることか。宰相中将はどうだ? もう言い寄られたか」
「な……」
 宰相中将、藤原斉信。道長の側近中の側近だ。
 言い返す暇もあらばこそ、繋がったままで身体を返され、行成は高麗縁の畳の上に押し倒された。
「ん……ッ…」
 重なりあった唇の合間から道長の舌が滑り込んでくる。逃れようとする行成の舌はすぐに捉えられ、絡み取られた。下肢を刺激する濡れた水音が帳台の帳の中に響き渡る。
 唾液を飲まされ、口の中を舌で掻き回され続けていると、何も考えることが出来なくなる。
 いつもそう。この男から口付けを受けると、すぐに呑み込まれてしまう。二人の正妻、数多の愛人を持つこの男の舌技はそれほどまでに巧みだった。
「この日をどれほど待ったことか」
 膝を折り曲げられ、脚を大きく開かせられた。それが真正面から顔を見られる体勢であることに気付き、行成は咄嗟に腕で顔を覆った。
 道長は喉奥で笑い声を上げると、行成に圧し掛かった。
「ッ、ああ、ッ…!」
 堪らなかった。襞を押し広げられ、擦られ、抜かれたかと思うと、再び入ってくる。屹立が抜き差しされるその度に背筋が痺れるほどの快感が走り抜ける。
「っ、ぁ……ん……」
 香油の効果だろうか。されども物足りなかった。
 熱く太いそれでもっと深い場所を突いて、張り出したその部位で浅い場所を抉って欲しかった。余りの浅ましさに身の毛がよだった。
 片足だけを抱え上げられたその時、行成は道長の意図を悟った。それを望んでいたにも関わらず、行成は怯えてずり下がった。
 だが、道長は容赦がなかった。行成の腕を掴み、逃れられないようにしたその上で、深く腰を入れた。
「ああッ!」
 頭の中が真っ白になった。
 道長はこれ以上はないというほど引き伸ばされた襞の最奥を穿ち、浅い場所を激しく擦り立ててくる。
「あ、…許し……、あっ、あ………っああっ!」
 行成がどれほど懇願しようとも、許されることは決してなかった。
 顔を覆う腕を外され、快楽に蕩けた顔が晒される。頬を涙が伝った。
「行成」
 思えば、道長に自分の名を呼ばれたのは初めてのことだった。当然のことかもしれなかった。たとえ親子であっても公式な場で名を呼ぶのは不敬に当たるからだ。
 道長は行成の涙を舌先で舐め取ると。
「堪らぬな」
 耳元で甘く囁かれ、唇が重ねられる。情熱的に唇を吸われるうち、いつもそうであるように頭の芯がぼやけていく。びく、びくと身体を震わせ、幾度かの軽い絶頂を得た後、いつしか道長の舌に応えている自分に気付いた。
――これも香油の効果か。
「…っ、…ん…」
 深い口付けを交わしながら、激しく揺さぶられ、穿たれ、擦られ、徐々に高みへと追い立てられていく。
「も……っ…、あッ、あああッ」
 ついにその時が来、行成は女のように喘ぎながら、先端から蜜を迸らせた。道長を咥え込んだ内壁が同時に激しく収縮する。
「く……ッ…!」
 行成は道長の熱い白濁を受け止めながら、幾度も達し、達しては善がり狂った――。





 精も根も尽き果て、もはや指一本さえも動かせぬような気がした。
 気力を振り絞って上半身を上げると、飲みきれなかった白濁がどろりと流れ落ちた。
行成は陸奥紙で後始末を済ますと、扇で単衣(ひとえ)を探り当て、無言で身につけた。
 もはや一刻たりともこの場所にいたくなかった。やり遂げた、その思いだけが行成を突き動かしていた。
 これで良かったのだ。
 これで主上の望みは叶う――。
「終われば素っ気が無いな」
 ふいに背後から腕を取られ、胸の中に抱き込まれた。眠っているとばかり思っていたその男は行成に無慈悲にもこう告げた。
「一晩、と言ったであろう。夜はまだ始まったばかりだ」





つづく
Novel