月虹 8 |
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遠くに宴のざわめきが聞こえる。 「っ……」 合わせ目から手が差し入れられ、指で頂きを探られる。探り当てられたそれを執拗にくじられた。尖りきった頂きを爪弾かれると思わず息が上がる。 「人の邸宅(いえ)、……だぞ…ッ」 宴席を外そうと耳打ちをされ、連れて行かれた場所が東の対屋(たいのや)だった。 斉信は土御門邸で開かれる宴の常連だった。であれば、しぜんと屋敷の事情に明るくなる。 そして大がかりな宴だったため、主だった女房たちは皆で払っていた。それを幸い、斎信は行成を空いていた庇の間に連れ込んだのだ。 「すぐに済む」 斉信は短く告げると、行成の膝裏に腕を入れて抱き上げ、柱に寄りかからせた。逃げ場のない状態で、ずん、と深く貫かれる。頭の中が真っ白になった。 「あ、ああ……ッ!」 落ちまいとすると、しぜん斉信の首に両手を回してしがみつく形となる。 逃れることは赦されず、再び深く穿れた。 「あ…、止……っ!」 奥を激しく突かれれば、もはや口をついて出るのは喘ぎ声ばかりだった。息も付かせぬ律動が止まり、斉信が力を緩めると、自重がかかり、昂る屹立をより深いところまで飲み込まされることとなる。 「どのような権門の姫も、才たけた女房も――」 抱え直され、脚を大きく広げさせられる。互いの上半身をぴったりと密着させたまま、けれど挿入の角度が変わり、行成は狼狽した。 「三日も通えばもう飽きる。それが悩みの種だった」 それは、宮中の女房たちの賞賛の的である斉信らしい言葉だった。 元太政大臣、藤原為光の次男。血筋の上では申し分なく、婿がねにと望む公達は多かった。一夫多妻はこの世の常だが、正妻は一人とされている。通うが、続かぬ斉信に未だ正妻的存在はいないと聞いていた。 「だが……」 斉信の形の良い、美しい唇が誘うように開かれた。おずおずと差し出した舌が絡めとられ、口内に誘い込まれる。 身体を繋げたままで、深い口付けを交わした。 続かなかった斉信の言葉。けれどそれに続いたであろう言葉を行成は正しく理解していた。 それは、一度も似ていると言われたことのない行成の父。若くして死した美貌の歌人。藤原義孝、その血が成せる業なのかもしれなかった。 ――知れば知るほど執心せずにはいられなくなる。何と危険な男よ。 そう言ったのは、この邸宅の主、道長だった。 斉信に抱かれながら、行成は先ほど経房に聞かされたばかりの伊周の帰京について思いを馳せていた。 戻って来たのか、あの男が。 今はどんな姿だろう。 意気消沈し、尾羽うち枯らした姿だろうか。 或いは、未だ帝が定子中宮に向ける寵愛を頼みに返り咲きを狙って虎視眈々と? 今はどこに身を落ち着けているのか。 息災であられますように、と告げてあの男と別れた二条北宮は今は無い。失脚した公卿の邸宅が往々にしてそうであるように、放火の憂き目に遭ったのだ。 すると源重光の邸か。 祖父の弟、行成にとっては大叔父の源重光は伊周を娘婿にしていた。伊周の一粒種の松君は源重光の孫なのである。 「何を考えている」 そんな行成の懊悩は一瞬にして吹き飛ばされた。 斉信はその思いの丈をぶつけるようにして行成を突き上げた。腰を動かすその度に柱がぎしぎしと軋む。 「ああっあ、っ! ……ああっ……あ、っ」 ――斉信の言う通り、何を考えているのだ、私は。 ふいに目頭が熱くなり、簀子縁に下げられた釣灯篭の灯りが朧に霞んだ。 「人目を憚る様子だったのが気になったのだ」 斉信は憮然として言った。 「左中将は何かと情報通だからな」 道長にとって経房は獅子身中の虫なのかもしれない。 だからこそ、飼い慣らそうと猶子にしたのだ。 「何を話していた?」 「何のことはない、ただの噂話だ」 そして道長は今度は行成を飼い慣らそうと、こうして側近の斉信を傍に近付けているのだろう。 斉信は柱に凭れて、手を広げた。その意図を図りかね、行成は曖昧に首を傾げる。斉信は行成の腕を取ると。 「来い」 広い胸に抱き込まれ、膝の上に座らせられた。 「――この私が左中将などに妬くものか」 行成にというよりも、自らに言い聞かせるように斉信は言った。 「……宰相中将」 ふいに渡殿から人が渡ってくる気配がした。 斉信は急ぎ立ち上がると。 「ここは私が」 行成は頷いた。 女房の局に行成がいれば、すわ何事かと噂にもなろうが、斉信なら何の問題もないだろう。ここでの物慣れた様子からも、実際に関係を持っている女房がいるのかもしれなかった。 行成は夜の闇に乗じて庭に逃れ出た。 どの貴族の邸宅も、広さや付随する建物の増減の違いこそあれ、造りは同じである。 人が行き来する渡殿をやり過ごし、母屋である寝殿の裏から宴席に戻るつもりでいた。だが、何か問題でも起きたのか、女房たちはひっきりなしに渡殿を行き交い、やり過ごすことは出来なかった。行成は仕方なく庭の奥へと進んだ。 門から遠い東北の対屋まで来たところで人の話声が聞こえた。 見つかるまいとその身を屈める。 「よろしいですか、大姫さま」 大姫、大君、どこの貴族も長女をそう呼ぶ。 するとここは道長の期待を一身に集める彰子の部屋なのだろう。 「まず第一にお習字。次に七弦の琴を誰よりも上手に弾けるように、それから」 「古今集の歌を二十巻暗記するように、でしょう」 明るい女童の声がした。 それらは村上帝に宣耀殿を賜った女御、藤原芳子が父、師尹から受けた教えとして知られていた。それを聞いた村上帝は女御を試そうと夜明けまで問いを投げかけ続けたが、芳子はただの一答も間違えなかったという。 「恐れ多くも主上におかれましては」 「頭の良い女性がお好き。だからこそこうして勉強をしているわ。ところで『白氏文集』はどなたがご進講して下さるの?」 「只今、お殿さまが大姫さまのために良き女房を探しておられますよ」 『白氏文集』は唐の白居易の手に拠る漢詩文集だ。男性の貴族であれば基本中の基本とでも言うべき教養だが、特別な教育を受けたものでない限り、女は漢詩を読めない。 それこそ学者の家に生まれた、今は亡き高内侍。その手ほどきを受けた定子中宮。同じく学者の家に生まれた少納言位だろう。 その稀有な教養を娘に身に着けさせようとは――。 道長は人の奥底に潜む望みを探り当てるのが上手い男だった。主上の望みも、むろん探り当てているのだろう。 明朗快活で聡明な女性、それこそが主上の望み。そしてそれはすなわち定子中宮の姿そのものでもあった。 行成は簀子縁から顔を覗かせた。 御簾越しだが、几帳は立てられてはおらず、燈台の灯りの下の彰子の姿を見定めることは可能だった。 彰子は幾つだったか。確か数えで十、それとも十一か。幼いものの、美人の条件とされている髪は驚くほどに長く、また愛らしかった。 ――貴方様の娘は未だ幼い。成人するまで主上を待たせ続けることは出来ますまい。 それは道長に行成が告げた言葉だった。 まだ遠い先のことと思っていた道長の娘の入内。 ひょっとしたらその日は自分が想像しているよりも遥かに早いのかもしれない。 もしも。 もしも承香殿女御が産み落とすであろう帝の子が女児、内親王であったとしたら――。 その可能性に初めて思い当たった行成は戦慄した。 |
つづく |
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