ラインの乙女 7





 りんりん りんりん 金ぴかりん
 ラインの塔には どなたがおわす
 塔におわすは 子犬伯


 何としてでも 出られません
 塔からどしても 出られません


 りんりん りんりん 金ぴかりん
 向こう見ずの 子犬伯
 塔を涙で埋めたとさ 





 噂というものは、おおかた尾ひれが付くものである。
 ラインフェルス城の塔には子犬伯が幽閉されていて、毎夜故郷を恋しがり泣いている。
 その噂は城下のゴアハウゼンの街に瞬(またた)く間に広がり、元々あった城主を揶揄(からか)う童歌、その二番の歌詞となって子供たちの間で歌われているという。
 その話をリーンハルトに教えてくれたのは見張りの騎士だったが、噂の出所もまた、彼であったことは容易に想像がついた。
 リーンハルトはげんなりとしたが、得意げな騎士の様子を見ていると、非難する気力すらなくなってしまった。
「夏至祭り?」
「中庭を領民に開放し、篝火を焚いて夜通し踊るのです。その日だけは一年に一度の無礼講。そこで村娘たちと知り合う機会がございます」
 牢の扉越し、リーンハルトは件(くだん)の騎士と話をしていた。
 その性格故に、どうしても悲劇の主人公とは成り得ないリーンハルトであった。
 伯も騎士たちの前では、リーンハルトとの関係を仄めかすことさえしなかったため、伯が昼となく夜となく城壁塔を訪れるのは、リーンハルトを殊の外気に入ったためとされていた。
 そのため、騎士たちもリーンハルトを伯の大切な客人という態度で接していた。
 城詰めの騎士は女人と知り合う機会はあるのかと暇潰しに尋ねたところ、まもなくその夏至祭りがあるため、騎士たちは大変期待をしているのだとの答えが返ってきた。
 祭りであれば、騎士たちは浮き立ち、城の警備は当然手薄となるだろう。そして中庭が開放されるというならば、普段は上げられている跳ね橋も下げられるはずだ。
――脱走の絶好の機会かもしれない。
 リーンハルトは内心浮き足立ったが、素知らぬ振りで騎士との会話を続けた。
 以前から気になっていた伯の母親について尋ねると、騎士は言葉少なに殿の母上は病死なされましたと答えた。浅ましきユダヤの黒猫に引き続き、またしても自分が失言をしたのだということを思い知らされる。
「残念ながら私はお目に掛かったことはないのですが、前(さき)の殿を老いらくの恋に走らせた伝説の麗人であったと聞いております」
 リーンハルトはさり気なさを装い、核心に切り込んだ。
「伯爵の兄上は?」
 伯が弑したと噂される兄。
 それまで気安くリーンハルトの質問に答えていた騎士だったが、その質問を聞いた途端、極端に歯切れが悪くなった。
「ハインリヒ様は……」
 言葉は不自然に途切れた。
 塔の階段を上がってくる足音がしたためである。見張りの交代までには間があった。恐らくはカッツェンエルンボーゲン伯だろう。
「ご苦労であった。下がってよいぞ」
 予想は誤らず、扉の向こうで伯の声がした。
 騎士は常のように鍵を開けて伯を牢内に招き入れると、入れ違いに階段を下りていった。
 伯は葡萄酒の入った瓶を持っていた。書き物机の上にそれを置くと、リーンハルトに向き直り。
「何の話をしていた?」
「大した話ではない。城下で流行りの童歌(わらべうた)の二番と夏至祭りの話をひとくさり」
「ああ、子供たちが大声で歌っているのを私も聞いた。――りんりん、りんりん、金ぴかりん」
 伯は節を取ると、その童歌の一節を口にした。
「懲らしめはしないのか、貴様を揶揄する歌と聞いたぞ」
「子供のすることであろう。私はこれでも領民から良い領主だと崇められている。咎めはせぬ」
「酒場では貴様の悪口しか聞かなかったが」
「酒場に屯(たむろ)している連中は私の領民ではない。通行料を取られて立腹している旅人や商人どもだ。山賊のような言われようをしているのは承知しているが、私はラインを封鎖している訳ではない。通行料を払いさえすれば、ラインは下れるのだ。欲の皮が突っ張ったあの連中が陸路を使って難儀したり、夜の闇に紛れて関所を突破しようとして荷を奪われている」
「通行料が高すぎるのだろう」
「私は決して高いとは思わぬ」
 堂々巡りだった。
 リーンハルトはこれ以上の議論を諦めて口を閉ざした。伯は葡萄酒の瓶を取り上げると、栓を抜いた。
「上物の白葡萄酒が手に入った。混ぜ物をせずとも飲める」
 二つの杯のそれぞれに葡萄酒をなみなみと注ぎ、リーンハルトに勧める。
 混ぜ物をしないで飲める葡萄酒は貴重品である。それを人質如きに振舞うとは……。
 リーンハルトは白葡萄酒の入った杯を疑わしげに睨み。
「煎じ薬でも入れているのではないか」
「酷い言われようだな。しかし、これまでを鑑(かんが)みればそれも当然のことか」
 伯は杯を取り上げるとリーンハルトの目の前で白葡萄酒を飲んでみせた。その杯をそのままリーンハルトに手渡す。
「これなら安心であろう」
 これ以上意地を張るのも大人気ない気がして、リーンハルトは酒杯を口に運んだ。
 混ぜ物――丁子や肉桂の入っていない生のままの白葡萄酒は芳醇で、それでいて爽やかな後味があった。
「美味い。確かに美味いが、私の領地で取れる葡萄酒の方がもっと美味いかもしれない」
 反射的に言ってしまい、慌てて付け加える。
「私の領地は良質の葡萄が取れることで有名なのだ」
「ワインスベルク、ワインの城の名が冠される城だ。貴殿の言う通りであろうな」
 リーンハルトは目を見開いた。何故なら、それはリーンハルトの居城の名であったからだ。
「驚いたな。貴様は帝国のすべての貴族と城の名を知っているのか」
「全てではない」
 伯はリーンハルトが居る箱寝台に並んで腰をかけた。するりと腰を抱かれて、身を固くする。
「妃は娶らぬのか?」
 唇が重ねられる。唇を開いてその舌を受け入れながら、リーンハルトは尋ねた。
「今日は抵抗をしないのだな。――何故そんなことを聞く?」
「抗っても、どのみちするのだろう。体力の無駄だ」
 舌に伯の熱い舌先が絡められ、リーンハルトは小さく身体を震わせた。崩れ落ちそうになった身体を伯が抱え直し、背に手を回してくる。
「…妃を、妃を娶れば、人質などに手を出す必要もなくなる……」
「私が情欲を発散するために、人質に手を出していると?」
「違う…の、か」
 粘着質な音を立てて、伯はリーンハルトの舌を吸っていた。何度聞いても慣れない、恥ずかしいその音。
 シャツの袷から差し入れられた伯の手がリーンハルトの尖りきった頂きを弄っている。充血して敏感になったそこに爪を立てられて、リーンハルトは唇を引き攣らせた。
「さあな」
「見張り…の、騎士が、言っていた。夏至祭りが楽しみだと。ん……ッ…」
 首筋の静脈に沿って伯の舌が滑らされる。舌先で耳を擽られた。
「ああ、ジークだな。何故だ?」
 耳朶をねっとりと舐められて、思わず首を竦めてしまう。が、首輪を引かれて顔を上げさせられ、そのささやかな抵抗はすぐに封じられた。
「ッ、…村娘と……、知り合える」
 シャツが肩から抜き取られ、リーンハルトは上半身を露わにされた。伯の指が唇をなぞって、リーンハルトの唇を開かせる。入り込んできたその指を吸わされながら。
「それが…、男…だ……」
「ふふ、貴公も祭りに参加して女漁りをしたいのか」
「まさか」
 下着ごとズボンを脱がされ、全裸にされた。後ろ抱きに膝に乗せられ、大きく開脚させられる。
 常ならば死に物狂いで抗うはずのその行為。だが、リーンハルトは抗わなかった。
 背後から伸ばされた伯の手が袋に伸びる。掌で温かく包まれ捏ねるように揉まれると、下腹部はすぐに熱を持ち、屹立が頭を擡げた。
「金髪の男はここも金色なのだな」
 薄い下生えを弄られ、揶揄するように言われると、リーンハルトの白い肌は羞恥にほんのりと色付いた。
「金髪女……、――ないのか?」
 経験を問うリーンハルトの問いかけ。
 否定も肯定もせず喉奥で笑うと、伯はリーンハルトの首筋に頭を埋めた。
「そろそろ、塔暮らしにも飽いた頃合だろう。夏至祭りに参加させてやろう。だが、歩き回って良いのは城内だけだ。私の犬は外には出さぬ」
 願ってもない提案だった。その目的のために抗わず、従順な様子を見せていたのだ。
 だが、まさか伯の方からそれを持ち掛けてくるとは。
 けれども慎重を期すため、リーンハルトはすぐにその提案に飛びつくことはせず、答えを保留した。 
「城の、…中? 何をするのだ」

「饗宴を催す。馳走を用意し、恋愛歌人(ミンネジンガー)を呼び、舞踏会を開く。レオポルト・フォン・ブラウバッハを呼んでいる」
 それはヴァルトブルクの歌合戦の勝利者。帝国で一、二を争う恋愛歌人の名であった。リーンハルトは僅かに興味をそそられた振りをした。
「凄いな…」
 伯は背後から身体を重ねた。熱く脈打つ伯のそれが後孔に当たっている。幾度身体を重ねても、それが入ってくる瞬間、その感触だけはやはり慣れることができない。リーンハルトは覚悟を決めて瞳を閉ざした。
「あ……くっ……」
 狭い後孔がこじ開けられ、有無を言わせず肉の刃が入り込む。リーンハルトは息を深く吸い込んで、それを受け入れた。 
 これまでとは違うリーハルトの態度に気を良くしたのだろうか。伯はすぐに激しく腰を突き上げてくることはせず、緩やかな律動を始めた。
 リーンハルトにとっては、激しく腰を突き動かされ、追い立てられるよりも辛かった。
 より強く感じてしまうのだ、伯を。その容(かたち)を。
「我が兄上たちなら知っていたであろうな、金髪も、赤毛も、黒髪も」
 身体を返され、伯と向かい合わせになる形で抱き上げられた。自重が掛かることにより、より深く貫かれる。リーンハルトはぶるりと身体を震わせ、伯にしがみついた。
「……たち?」
 複数いたのか。
 跡継ぎの兄を弑した、それしか耳にしていなかったが。
「兄と呼ぶのすらおぞましい。長兄のフリードリヒも次兄のハインリヒも人の皮を被った獣同然だった。あれらには女好きの父の血がより濃く出たのだろう。下女も料理番のおかみも鵞鳥番の娘も、男さえも委細構わず手をつけた。ラインフェルス城には生娘を働きに出すな、とまで言われるほどだった」
「漁色家は――」
 伯が緩慢に腰を動かすその度に、脳天まで貫くような快感が走る。向かい合わせで抱き合っているため、動きが自由にならず、もどかしかった。
「……っ、貴様とて…同じだろう」
 伯は薄い唇を歪めて笑った。
「信じようが信じまいが、人質に手を出したのは、貴殿が初めてだ」
 伯の手によって腰を引き上げられ、そして一息に引き下ろされた。
「…あ……ああッ……」
 歯を食い縛り、嬌声を押し殺した。伯の首に額を擦りつけ、押し寄せてくる快楽の波を必死で耐える。
「フリードリヒは戦の負傷が元で死んだ。似た者同士の兄弟だったが、それでも長兄に頭を押さえつけられていたのだろう。長兄の死後、ハインリヒの獣性はよりいっそう激しいものとなった」
 伯はリーンハルトの顔を上げさせると、目尻に浮かんだ涙を舐め、頬に口付けた。
「騎馬で城下に乗りつけると、村一番の美人と評判の鍛冶屋の妻を攫った。そればかりでなくその娘にまで手をつけた。意見する者がいれば、容赦なく手打ちにした。騎士たちはおろか、家令さえも意見することが出来ず、その所業に震えおののくのみ。その頃、病床の父が死んだ」
「だから――、とでも言いたいのか」
 伯の琥珀色の瞳にたちまち危険な色が宿った。
 リーンハルトを押し倒し、耳につくほど高く脚を上げさせると、激しく腰を突き動かした。
「……ああッ! あっ…っ……」
 全身が溶けてしまいそうだった。
 リーンハルトの身体はどこもかしこも敏感になっていて、伯の裸の胸が頂きに触れる、ただそれだけでも感じた。
「そう、だから、だ。だから私は兄を殺した。貴公が入れられたあの地下牢に、鉄の処女に閉じ込めて投げ落とし、再び吊り上げて、それでも一ヶ月も生きた」
 リーンハルトの脳裏に、地下牢の床一面に広がっていた血の染みが浮かんだ。
 激しい憤怒を叩きつけるように、伯は容赦なくリーンハルトを突いた。リーンハルトの唇からひっきりなしに嬌声が漏れる。リーンハルトはもはや声を殺すことを放棄していた。
「残念だ。もっと長く生かして、もっと長く苦しめたかったのに……」
 憤怒に煽られたか、伯はいつになく激しかった。 
 突かれ、返され、揺さぶられ、前に触れられることなく、リーンハルトは射精した。
 固い果実もいよいよ食べ頃だな、伯はそう言って笑った――。





つづく
Novel