薔薇の冠 10





「クロイツェルという教皇庁所属の聴罪神父、そしてフランス大使が加担をしているようでございます」
 城下にある新教の教会の牧師館で、ルドルフはエッシェンバッハと密会を行っていた。
「監禁場所はラインスター公爵の邸宅の左翼棟で、棟への出入りはこの二人と公爵に限られます。食事は摂られているようでございますな。ニ度三度と運び込まれ、空になった盆だけが返されてくる。拷問も継続して行われているようです」
 エッシェンバッハの口から監禁の実態がつまびらかになるにつれ、ルドルフは徐々に平静さを失っていった。
「聴罪神父は屋敷に詰めきりで外部にはほとんど姿を見せません。デュヴァリエ大使は公爵の邸に滞在されておりますが、二日に一度ほどの頻度で外出をするようでございます」
「聴罪神父が教皇庁に出すであろう手紙を横取りするか、デュヴァリエ伯を捕えて口を割らせるか。手紙は暗喩が使われないとも限らない、やはり大使の口を割らせる方が確実か」
「前者はともかく、後者はフランス大使。下手に手を出すと国際問題にも発展しかねません」
「その半面で、大使だけにこの国に居られなくなっても何も困らない。逃げ帰れる立場でもあるな。そして異国での客死というのもよくある話」
 エッシェンバッハは目を上げてルドルフを見た。
「申し訳ありません。殿下らしからぬご発言と」
「私らしくないか、そうであろうな。だが私も時と場合によっては手段を選ばぬつもりだ。手遅れになってからでは遅い」
 いつも自分は運命に翻弄され、さまざまな物を失ってきた。幼さ、或いは小心から、何も出来ず手をこまねいて、それらが失われていくのをただただ見ている事しか出来なかった。
 だが今度は違う。決して失いたくない物が自分にはあるのだ。何があっても、この命に代えても、それだけは失いたくないのだ。
 カッツェンエルンボーゲンが私を守ろうとして苛烈な拷問に耐えている。そう、私は子犬家の人間だ。その忠義に答えずして、どうして犬を名乗れようか。
「エッシェンバッハ殿、貴公はこれまで通りデュヴァリエ大使の動向を探って欲しい。確実に外出するその日を、その場所を突き止めて欲しいのだ」
「拉致するおつもりですか? デュヴァリエ大使は公邸の出入りには必ず従僕を伴っております。御者、従僕、大使、この三人を一息に制圧する必要がございます。しかし」
 ルドルフは皆まで言わせず言葉を継いだ。
「我らの味方はあまりに少ない。だな? では、味方は私が増やして来よう」
 エッシェンバッハはルドルフの言葉が理解できないようだった。さかんに目をしばかせている。
「ヴェルフ伯は私の祖父だ。誰よりも信頼出来る。いつでも頼るように言われていたが、私には頼る勇気がなかった。私は伯に助けを求めようと思う」
「問題は誰にその役目を託すか、ですな」
 ルドルフがヴェルフ伯に書き送った手紙が奪われ、それが謀反の動かぬ証拠とされた事件はまだ記憶に新しかった。エッシェンバッハの懸念も無理からぬ事であったろう。
「言ったであろう、私が行くと。他人は信用ならない。私は気鬱の病を得、伏せっている事にしておこう。陛下に特赦をお願いし、三度目の退けを受けたばかり。さもあらんと陛下も納得するであろう。その間に私はワインスベルクに行き、伯の手の者を連れて戻ってこよう。二日、往復で四日、いや私は三日で戻って来る」
 ワインスベルク、それはヴェルフ伯の居城がある街であった。
「私の馬がいなくなれば、周囲に気取られる。エッシェンバッハ殿、馬の用意を頼めるであろうか。なるべく足が速く、丈夫な馬を」
 エッシェンバッハはまるで白昼夢から覚めやらぬような様相で、のろのろと口を開いた。
「勿論でございます、殿下」
 エッシェンバッハの声の調子が変わった事に気付いて、ルドルフは顔を上げた。
「変わられましたな」
「私がもしも変わったのだとしたら、それはカッツェンエルンボーゲンのお陰だろう」

――絶対に取り戻す。

 固い決意と共に、ルドルフは旅支度を整えるために立ち上がった。





 デュヴァリエ伯はカッツェンエルンボーゲンが監禁されている部屋に夜毎忍んでくるようになった。
 無理やりであっても繰り返し身体を重ねていれば、やがては慣れて、感じるようになってくる。
 カッツェンエルンボーゲンは汗ばんだ手でシーツを握り締め、懸命に喘ぎ声を殺していた。
「…大使……、いつか、いつか露見する…ぞ…」
「露見したところで構いません。貴方を追い詰める為と申し上げれば、ご納得なされるでしょう」
「性交は果たして拷問か」
「痛めつけられる方がお好みでしょうか」
 だしぬけに銀輪を引かれた。同時に悲鳴が漏れぬよう掌で口を塞がれ、カッツェンエルンボーゲンは苦痛に顔を歪めた。
「痛く――しないでくれ、頼む……」
 掌を外されるや、目に薄っすら涙を浮かべて懇願する。それは計算し尽くされたカッツェンエルンボーゲンの演技であった。
「ふふ、貴方の苦しむ顔は堪らなくそそられる。だが、そうして大人しくしていて下さるのなら、優しくも致しましょう」
 慰めるように唇が重ねられ、熱い舌が滑り込んでくる。ぬめぬめとしたその感触は嫌悪しかもたらさなかったが、カッツェンエルンボーゲンは歓心を買う振りでその舌を吸った。
 大使を受け入れるその代わり、些細な物をねだった。痛み止めの丸薬、グラス一杯のワイン、些細な物であっても秘密を共有することで一体感が生まれる。そこを狙って、何より欲しい情報を手に入れる事に成功した。
 カッツェンエルンボーゲンがフランス語に堪能なのも幸いしたのかもしれない。背に手を回し爪を立て、vousよりも親しい、tu(あなた)と呼んで相手を煽れば、デュヴァリエ大使はその情報を惜しみなくばら撒いた。
 ジークヴァルト王子の病状は重く、王妃は妖しげな祈祷僧を王宮に招き入れた。ルドルフ殿下は無事、国王にこれまで三度カッツェンエルンボーゲンの特赦を願い、その度ごとに手酷く撥ね付けられているという。何故見限らないのだとその身を案じて腹立たしく思う一方、嬉しくもあった。
 しかしルドルフが自分を見限らない限り、ルドルフの立場は悪くなる一方だ。
「……っ」
 繋がったままで身体を返された。脚間の屹立に大使の手が蛇のように絡みつき、扱き始める。
「フランスに行かれた事は?」
「パリを――、訪れたことがある。宮殿は壮麗で、ノートルダムは素晴らしかった。……っ、……う…」
「もう一度見たいとはお思いになりませんか」
 カッツェンエルンボーゲンの背骨に沿って舌が滑らされる。そのままうなじまで舐め上げられて、カッツェンエルンボーゲンはぞくりと背筋を震わせた。
「貴方はまだお若く、こんなにも美しい。この暗い部屋の中で、生涯を終えたくはないでしょう」
 双球を掌で包み込まれ、やわやわと揉み込まれると、どうしても腰が落ちてしまう。腰を抱え上げられ、獣の形で再び奥まで貫かれた。
「く…っ……」
 かくかくと人形のように揺さぶられる。揺れる視界の隅に、解かれてシーツにわだかまる絹の布が目に入った。
 あれで首を吊ろうか、大使の隙をついて。
 それとも大使を絞め殺して逃げようか。
 逃げたところで王に許される訳ではない。だが、ラインラントはライン河流域の領邦国家の集合体だ。大使の国のように絶対的な中央集権が確立している国ではない。
 領邦に戻り、難攻不落を持って知られる自城、ラインフェルス城に逃げ込めば良い。その後はラインラントと敵対する諸国と同盟を結べば、もはやラインラント国王とて手出しが出来なくなるだろう。そう、今は暗黒の中世ではない。
 だが――。
 それをすれば、ルドルフ王子は一体どうなるのだろう。
 カッツェンエルンボーゲンはラインスター公爵の王冠への執着を誰よりもよく知っていた。
 あの男は諦めるという事を知らない。
 この企みがたとえ失敗に終わったとしても、第二、第三の策を講じ、ルドルフの失墜の機会を常に狙い続けるだろう。もしも自分が居なくなってしまったとしたら、果たしてあの王子はその荒波に耐え得るのか。
 いや、その危惧さえも、自分の利己心から生まれて来たものかもしれない。
 あの男を王にしたくないという、醜い私の心から。
「何が、あるのですか」
 激しく突き上げながら、デュヴァリエ大使は尋ねてきたた。
「貴方とラインスター公爵閣下の間には」
 にわかには大使の言葉が理解できず、肩越しに振り返る。
「公爵閣下が貴方に向けるあの憎しみは異常だ」
「それ…は…、私が…ッ…聞きたい……事だ…」
 カッツェンエルンボーゲンは瞳を閉ざし、快楽に逃げ場を求めた。
 考えたくなかった、何も。少なくとも今は――。
 公爵はいざ知らず、自分がラインスター公爵を憎む理由は明白だ。そう、こんな風に快楽に逃げる術を身に付けられたのも、ある意味であの男のお陰だった。
 変わってしまった父が理解出来なかった。天才的な頭脳を持つが、奔放で気まぐれ、妖精じみた冷たさを持つ母をむろんカッツェンエルンボーゲンは愛していたが、いつも穏やかで愛情深い父により惹かれていた。
 貴族らしからぬ家庭的な父をカッツェンエルンボーゲンは全身全霊をかけて愛していた。

――私を愛しているのだろう。

 その父が、獣じみた荒々しさで自分に圧し掛かる男と同一人物である事実が理解できず、快楽に逃げる術を身に付けた。

――ならば。

 快楽に逃れられないその時は、ただひたすらにあの男を憎んだ。憎しみはやがて澱のように凝った。
 嫉妬もあったのかもしれない。母が、息子の自分より愛するあの男への。そしてもう一つ、それこそが決定的な――。
 ばん、大きな音と共に扉が開くと同時、黒い影が部屋に飛び込んできた。
 影は洗面台に置かれた洗面器をひっ掴むなり、中身の水を寝台のカッツェンエルンボーゲンとデュヴァリエ伯に浴びせかけた。
「さかる犬同士を引き離すにはこれが一番」
 浴びせかけられた水の冷たさがカッツェンエルンボーゲンを現実へと引き戻す。
 こんな事が前にもあったな、とぼんやりと思う。あの時の相手はラインスター公爵だった、しかし今度は。
「これはどういう事態なのか、ご説明頂けますか、大使」
 クロイツェル聴罪神父だった。
 怒りにどす黒くなった大使の顔を見て、カッツェンエルンボーゲンは一石を投ぜたと確信した。
 フランス大使は重責、その自尊心は恐らく天を突くほど。教皇庁直属といえども一介の聴罪神父風情に水を掛けられて、その憤怒はいかほどか。

――もはや彼らは一枚岩ではないだろう。





つづく
Novel