薔薇の冠 13





「正直、貴方ほど手を焼かされた者はおりません。私の長い異端審問官の経験を持ってしても」
「果たして長いと言えるのか。貴公はまだ若いだろう」
「私は赤子の時に修道僧に拾われて、修道院で生まれ育ちました。並の審問官よりも経験は豊かです」
 天井から吊るされた鉄枷に両手首を繋がれ、カッツェンエルンボーゲンは床に爪先立ちにされていた。
 白い肌は徐々に効き始めた催淫剤の効果故か、上気し薄紅色に色付いている。 金髪と、頂きと脚間で鈍く光る銀輪だけが唯一許された装飾品だった。
「しかしギリシャの寓話にもございます。旅人の上着を脱がせようと躍起になって風を吹き付けても、旅人は上着をしっかりと握り締めるばかり。むしろ太陽の暖かさで脱がせた方が良いと」
 脚間の屹立には発散を許されぬ熱がわだかまっていた。
 目に映る聴罪神父の手で激しく擦り立てられたかった。
 欲情に潤んだ瞳を見られたくなく、カッツェンエルンボーゲンは視線を逸らした。
「――譲歩を。協力をお約束して下さるのなら、貴方の殿下を国外に逃しましょう。もとより野心のない方と聞いております。いつ寝首をかかれるとも知らぬこの国で窮乏生活を送るよりも、むしろ気楽な亡命生活をお楽しみになられるかもしれません」
 そう、なのかもしれない。
 あの方を王にしたい、あの方を助けたいという思いは、ラインスター公爵を王にしたくないという醜い私の心から生まれたものなのかもしれない。
 けれど王子は言っていた。こんな時間をこれからも持ちたい、こんな生活をこれからも続けたい、と。
 それは、幸薄かった王子のささやかな願いを叶えるための、けれども壮大な野望だった。
「貴公は何故あの男を王にしたいのだ」
「いいえ閣下、これは私の願いではありません、教皇庁(ヴァチカン)の総意。あの方が王になれば旧教徒の国が一つ増えます。私は命を賭けてその使命を真っ当するつもりです」
 それを聞いて、カッツェンエルンボーゲンは笑い声を上げた。
「何がおかしいのですか」
「私は昔、母に聞いた事がある。聖職者はなぜ妻帯しないのか。母の答えはこうだった」

――人々に平等に接するためよ。特別な存在がいたら、皆に平等に接することは出来ない。妻や夫は所詮他人、けれど子供は違うわ。本当に特別な存在なの。
 
 子が居なければ、信仰も、情熱も分散しない。
 母の言葉を一字一句違えずに聴罪神父に告げるや、カッツェンエルンボーゲンは再び笑い。
「そういう当人は子供を大事にしている訳でもなかったのだが」
 子育ては乳母に、教育は家庭教師に、愛情は父に、全て任せきりにして奔放に生きていた母だった。それゆえにその言葉はひどく印象に残り、長い間忘れられなかったのだ。
「死すべき運命にあった赤子の私を拾い上げ、衣食住と教育まで与えてくれたのは、修道院。私を拾った修道僧は周囲の非難を物ともせず、山羊の乳で私を手ずから育てたそうです。異教徒たちが旧教の体制をどう非難しようとも、私の信仰は決して揺らぎません。しかし貴方の母上の意見は概ね真実だと思いますよ」
「……っ」
 乾いた手で屹立を無造作に掴まれ、カッツェンエルンボーゲンは煩悶した。
「お辛いでしょう」
 カンタリス、悪名高いボルジア家の秘薬を飲まされてから、既に半日が経過していた。
 女を濡らし、男の勃起を持続させる効果があると事前に知らされていた。
 その効果は触れ込み通り。何の刺激も与えられていないのにも関わらず、カッツェンエルンボーゲンの脚間の屹立は痛いほど張り詰め、先端から蜜を滲ませていた。
「困りましたね、この役目は公爵閣下にお願いするつもりでしたのに。薬の効果が減じてしまう」
 予定の刻限を過ぎても戻らない公爵に聴罪神父は痺れを切らしているようだった。そのまま乾いた手で二、三度擦られて、カッツェンエルンボーゲンは堪らず身体を捩った。
「皆――」
 は、乱れた息を整えつつ、カッツェンエルンボーゲンは言った。
「皆、王冠を素晴らしく美しい物のように言う。だが王冠は人を狂い惑わす恐ろしい存在。血の犠牲の伴う茨の冠だ。なのにどうして皆それを戴きたがるのか……」
「不思議です。貴方と全く同じ表現を使われた方を知っています。王冠は茨の冠だと。主のように額から血を流しても、それでも戴冠したいとその方は仰られた。それを頂いた時、自分は初めて許されたと感じるだろうと」
「誰に」
「神に」
 ローマの兵士はキリストを鞭打った後、茨の冠を被せ、嘲り笑ったという。キリストは茨の冠を被り額から血を流し、薄汚れた緋色の衣を身に纏い、磔刑への道を歩んだのだ。
「自らを主になぞらえるとは、とんだ狂信者だな」
 聴罪神父の言うその方が誰であるかは問うまでもなかった。あの男は主に自分をなぞらえている。乳香に拘っていたのもその表われだろう。
 王は神に選ばれる者。あの男は選ばれたいのだ、神に。だからこそ、こんなにも王冠に執着する。
「何を――、許されたいのだ」
「お喋りが過ぎたようです」
 カッツェンエルンボーゲンの脚間の屹立は充血しきり、むしろ痛いほどだった。聴罪神父は皮紐を用いて、その根元を縛った。
 作業の合間に触れるその手にも感じてしまい、カッツェンエルンボーゲンは恥じて唇を噛んだ。
 聴罪神父は部屋の隅に置かれたキャビネットに歩み寄った。吊られたままのため、背後の状況は判らない。引き出しを開ける音がしたかと思うと、神父はすぐに戻ってきた。神父が手にしていたのは、布に包まれた水晶製の張り型であった。
「公爵閣下がお戻りになられませんので、代わりにこれを」
 おぞましいその形状を見、しかしカッツェンエルンボーゲンの喉が鳴る。あまりの浅ましさに眩暈がした。
「自分ではしないのか。まさか清童の誓いを立てている訳ではないだろう」
「あいにくとその手には乗りません、カッツェンエルンボーゲン伯爵閣下。激昴した公爵閣下は私とて恐ろしい」
 鎖が操作され、カッツェンエルンボーゲンの身体は床に落とされた。張り型が鼻先に突きつけられる。
「準備をして頂けますか」
 唇を開いて咥えた。
 張り型は口には余るほどの大きさだった。これが挿入されると思っただけで、根元を縛られた屹立に再び熱がこもった。
 一旦吐き出して、まるで人のそれにするように裏筋に当たる部分を舐め、先端を口に含んだ。自分が立てる粘着質なその音にさえ煽られて、カッツェンエルンボーゲンは無心で張り型を舐め続けた。
「そうしていると貴方は本当に猫ですね、黄金の髪と瞳。そして私が苦心した孔もついに」
「っ……! 」
「完成した」
 頂きに通された銀輪を抓んで回されると、堪らなかった。薬のために敏感になった肉体はその痛みすら堪らない快楽として受け止めてしまう。
 目尻に涙が浮かんだ。
「約束は守ります、私の信仰にかけて。貴方の殿下は逃がしましょう」
 双丘に手をかけられ、秘められたその箇所をこじ開けられた。舐めて濡らした張り型が押し当てられ、それは襞を押し広げながら奥へと進む。
「う……あ…ッ!」
 水晶の張り型で深々と串刺しにされると、カッツェンエルンボーゲンはのけぞり喘いだ。
「達きたくて堪らないのでしょう、もう」
 神父は背後からカッツェンエルンボーゲンの耳朶をねっとりと舐めあげた。
「……ッ、ああッ」
「一言、認めると言って下さればそれで良いのです。それで貴方は解放される」
「嫌…だ」
 聴罪神父は舌打ちし、張り型を操る手の動きを早めた。肉の柔らかさのない水晶の張り型で激しく責めたてられる。
 達したくて仕方がなかった。思いきりぶちまけてしまいたいという射精衝動がカッツェンエルンボーゲンを支配しようとしていた。感じる部分を狙って突かれ、唇をわななかせる。
「さあ」
 言ってしまいなさい、と甘く囁きながら、聴罪神父は根元を戒める皮紐に手をかけた。
 カッツェンエルンボーゲンはいやいやをする子供のように首を左右に振った。
「嫌…だ。あの、男だけは……ッ」

――絶対に王にはさせない。

 血が滲むほど強く唇を噛み締め、カッツェンエルンボーゲンはその責め苦に耐えた。
 身体は肉、ただの肉だ。
 ただの肉に私の精神を支配などさせない。
 聴罪神父は苛立ちを露わにした。一息に奥まで張り型を押し込まれ、カッツェンエルンボーゲンはついに射精なしで達した。
「あ……ああっ……ああ…っ……」 
 それは、カッツェンエルンボーゲンが今までに経験したことのない圧倒的な快楽だった。頭が真っ白になり、固く閉ざされた瞼の下の闇に朱が散った。
 極みにあっても手放さないようにしようと決めていた意識、けれど過ぎる快楽に抗うことはできず、カッツェンエルンボーゲンはあえなく意識を手放した。
「……ーター……ファーター……」
 薄れゆく意識の中で、到底自分の物とは思えぬ子供じみた声が、繰り返し哀願していた。





 長い長い時間が経過したような気がしたが、実際に意識を失っていたのは、ほんの数分のようだった。
 カッツェンエルンボーゲンが意識を取り戻したその時、聴罪神父は呆れと困惑とが入り混じったような、何とも言えない表情で自分を見下ろしていた。手枷は既に外されていた。
「私の精神を壊そうとしても――」
 大儀そうに上半身を起こし、カッツェンエルンボーゲンは言った。
「無駄な事だ。禁忌はいつも私と隣りあわせだった」
 極みにあって漏らしてしまったその単語。もはや隠しても始まらぬと、カッツェンエルンボーゲンは生まれて初めて他人にその禁忌を打ち明けた。
「私の初めての相手は実父だった。息子ほど年の離れた王国の王子に妻を寝取られた父は、その捌け口を息子である私に求めた」
 聴罪神父はわずかに眉を潜めただけ、何も言わなかった。
 その代わりにキャビネットから絹のガウンを持ってくると、カッツェンエルンボーゲンの裸の肩にそれを着せ掛けた。
「あの男が私を憎むのと同じ、いやそれ以上に私はあの男を憎んでいる。私の家族を壊したのはあの男。私はあの男だけは絶対に王にはさせぬ」
 ガウンの前を合わせると、カッツェンエルンボーゲンは言った。
「貴公の腕は確かだ。並の貴族ならとうの昔に音を上げているだろう。だが私は駄目だ。私には効かない。禁忌も恥辱もとうの昔に経験済。――殺せ。これ以上の責めは時間の無駄……」
 突然、廊下が騒がしくなった。
 大理石造りの床にかつかつと長靴の音が響き渡り、次の瞬間、大きく扉が開かれた。
 そこに立っていたのは、聴罪神父がその帰宅を待ち侘びていたラインスター公爵であった。
 しかし様子がおかしい。長い髪は乱れ、目は血走り、よほど急いで来たのであろう、息を切らしていた。
 公爵はカッツェンエルンボーゲンの姿を認めるなり、腰帯に付けている儀礼用の剣であるエペを抜いた。
「貴様……ッ! 」
 聴罪神父は驚いて叫んだ。
「閣下!」
 エペの切っ先がカッツェンエルンボーゲンに迫る。カッツェンエルンボーゲンは急ぎ飛び退って難を逃れた。
「いかがなさいましたか、閣下」
「邪魔を……するな!」
 公爵は間に割って入ろうとする聴罪神父を突き飛ばすと、カッツェンエルンボーゲンに猛然と躍りかかった。床を転がってそれを避けると、カッツェンエルンボーゲンは壁を背にして立ち上がった。
 公爵は恐ろしいまでに本気だった。血走った目をカッツェンエルンボーゲンに据え、肘を引いてエペを構える。
「私を殺すのは構いませんが、死体に刺し傷が残ると後々厄介な事になるとは思われませんか、閣下。私の身柄は国王陛下から預けられているという事をどうかお忘れなきよう」
「我の野望は潰えた。かくなる上は貴公を道連れにするまでだ」
 一体公爵の身に何があったのか、詮索する余裕はまるでなかった。
 狭い部屋の中、相手は剣を持っており、こちらは丸腰。
 何かないか、何か、何か武器になる物は――。
 視線を公爵に向けたまま、手探りで周囲を探ると、手に何か固い物が触れた。……キャビネット。
 頭に血が昇っている公爵には明らかな隙が存在した。
 突っ込んでくるそのタイミングに合わせ、渾身の力を込めて、キャビネットを投げ飛ばした。
 公爵はキャビネットに躓(つまず)き、前のめりになって倒れた。
「くっ……」
 投げたその拍子にキャビネットの上に乗っていた調度品がばらばらになって散らばった。カッツェンエルンボーゲンはその中から銀の燭台を選び取ると、胸の前で構えた。
「閣下、なりません!」
 神父の制止も構わず、再び公爵はエペを繰り出した。突き出されたその剣をカッツェンエルンボーゲンは燭台で阻んだ。
 エペと燭台は絡み合い、競り合いとなった。
 長い虜囚生活と日夜を問わず行われた拷問と性虐とで、カッツェンエルンボーゲンの体力はすっかり落ちていた。まさに競り負けようとするその時――。
「王命だ、押し通る!」
 聞き慣れた、しかし常とは違う有無を言わせぬ激しさを孕んだその声が、開け放たれたままの扉の向こうから聞こえた。続いて複数の人間の足音。そしてカッツェンエルンボーゲンは見たのだ。
 扉の向こうに懐かしい、けれど二度と見れるとは思っていなかったその顔を。
 思わず叫んでいた。
「殿下!」





 窮鼠猫を噛む、はまさにこの事だろうか。
 国王が刺されるという異常事態に浮き足立った衛士の隙を突き、ラインスター公爵はマントの裾をひるがえして走り出した。
「公!」
 王妃が切羽詰ったような声を上げたが、それに返る声はなかった。
 自失はほんのわずかな間だけ、ルドルフはすぐに我に返った。
「殿医を……、殿医を早く!」
 ルドルフの言葉に衛士の一人が急ぎ駆け出して行った。
 王妃はラインスター公爵が立ち去った扉の向こうを見つめたまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……公……、ヴァルト……」
 様々な悲しみがないまぜになったのか、王妃は顔を覆って泣き崩れた。
 すすり泣きの合間に公爵を、王子を呼ぶが、そこに国王の身を気遣う言葉はなく、それがルドルフを居たたまれなくさせた。
 指図を乞うために近付いてきた衛士に耳打ちする。
「王妃を自室にお連れし、監視を付けるように。私は――、公爵を追おう」
 公爵の行く先は二つに一つだった。王都にある公邸か、園遊会の会場ともなった王都の外れにある城館か。
 ルドルフは血相を変えて駆けつけてきた殿医と侍従に国王を託すと、近衛を伴い、公邸に向かった。
 公邸を選んだのは他でもない、そこにカッツェンエルンボーゲンが囚われていたからである。
 公爵を捕える確実性よりも、カッツェンエルンボーゲンの救出をより重視したのだ。そしてもしも公爵が公邸に向かったのだとしたら――。
 カッツェンエルンボーゲンの身が危うい。
 公邸に辿り着くと、公爵の馬車が玄関前に横付けにされていた。やはり……。ルドルフの胸の鼓動が早鐘を打ち始める。
 時間稼ぎをしようとする使用人たちを力づくで押しのけ、ルドルフは公邸の左翼棟に向かった。
 人気のない左翼棟の部屋の扉を一つ一つ開けて回り、カッツェンエルンボーゲンの姿を探す。
 いない。
 ここにもいない。
 捜索に手間取るうち、壮年の家令がルドルフを引き止めに掛かった。
 家令の視線の先に開け放たれたままの扉を認めると、ルドルフは家令を押しのけ、叫んだ。   
「王命だ、押し通る!」
 その勢いのままに部屋に飛び込んだルドルフは、そこにカッツェンエルンボーゲンを見た。
 カッツェンエルンボーゲンは生きていた。
 だが、その美しい顔は無残にも腫れ上がり、抜けるように白い肌には無数の裂傷や切り傷があり、受けた虐待の凄まじさを物語っていた。
 床にさまざまな調度品が散らばる荒れた室内で、ラインスター公爵とカッツェンエルンボーゲンが対峙していた。
 ルドルフの姿を認めたカッツェンエルンボーゲンが叫ぶ。
「殿下!」
 考えるより先に身体が動いた。





 ルドルフは部屋に飛び込んでくるなり、公爵を突き飛ばした。ふいを突かれて、公爵は寝台の支柱の一つに背中からぶつかった。ぶつけたその拍子に、エペが手から離れる。
 そのエペを誰よりも先に手にしたのは、カッツェンエルンボーゲンだった。

――殺してやる。

 凶暴な殺意がカッツェンエルンボーゲンの全身を稲妻の如く貫いた。

――この男だけは絶対に、許さない。

 エペの柄を両手で、順手で握り、カッツェンエルンボーゲンは公爵ににじり寄った。
 公爵はカッツェンエルンボーゲンが際限なく虐待を受けた寝台、その前で丸腰でうずくまっている。
 絶好の機会だった。
 その意図を悟り、聴罪神父は叫んだ。今度は公爵ではなく、カッツェンエルンボーゲンに向けて。
「おやめください。その方に手を掛けてはいけない!」
「私はカッツェンエルンボーゲン伯爵だ」
 皇帝にあらず王にあらず公爵にあらず、我はカッツェンエルンボーゲン伯爵なり。
 その世にも有名な家訓を引き合いに出し、カッツェンエルンボーゲンは聴罪神父の制止を退けた。
「おやめください。貴方の母上を殺めたのは閣下ではございません!」
「黙れッ!」
 寝台の方角から切羽詰まった怒声が飛ぶ。
 ラインスター公爵だった。
「閣下、お許し下さい。けれど今こそ打ち明けるべき時でございましょう」
「黙れ! 黙れ! 黙れッ! 沈黙の誓いを破るつもりか。それで聴罪神父を名乗るつもりか、クロイツェル!」
「お聞き下さい、伯爵閣下。確かに公爵閣下は罪を犯されました。けれどその罪は貴方が想像なさっている物とは違う。閣下が日夜私に懺悔なさり、主に救いを求め続けた罪、それは――」
 聴罪神父がその罪状を口にした途端、ラインスター公爵は獣じみた咆哮を上げた。
「死体損壊でございます!」





つづく
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