薔薇の冠 4 |
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ルドルフは宮廷に出ようと思い立った。 宮廷に出ればカッツェンエルンボーゲン伯に再び会えるかもしれない。そんな子供じみた思いからである。 宮廷に出てほどなく、風向きが変わったことを肌で感じた。これまで彼を遠巻きにしていた貴族たちが親しげに近付いてくるのである。 その理由は明らかであった。世継ぎの王子がカッツェンエルンボーゲンの予告通り、病を得たのだ。 「態度がまるで変わったとはお思いにはなられませんか。それが宮廷です」 まるでお天気の話でもするような気軽さで、カッツェンエルンボーゲン伯はルドルフに話しかけてきた。 「カッツェンエルンボーゲン」 「聞くところによれば、フランス大使がラインスター公爵閣下に接近を図っているとか」 「大使が?」 「世継ぎの王子であられるジークヴァルト殿下にフランス王女の売り込みに余念が無いとの専(もっぱ)らの噂。けれど、くるくると風に顔を向ける風見鶏の如 く、公爵への追風を察したのでしょう。ガブリエルが終末の喇叭(ラッパ)を吹き鳴らすその時に、新教徒が地獄の業火で焼かれるような世界を夢見る旧教の国の人間。互いに気が合うのでしょう」 そのフランス王宮にある物を模して作られたという鏡の間。時折舞踏会の舞台ともなるその回廊も何も催されていない今日は人影も疎ら。 カッツェンエルンボーゲン伯は庭園を見入る振りで話を続けた。 「貴方様に勝機が皆無な訳ではございません。ラインスター公爵閣下は苛烈な旧教徒として知られています。ひそかな新教趣味を持つ貴族たちはその即位を決して喜ばぬことでしょう。その逆もまた真なり。旧教の聖職者は皆あの方の味方であり、教皇庁は新教徒の王を望まない」 薄い唇を歪めて笑う。 「時に殿下、どうして貴方はいつも陰気な修道僧のような服を身に纏っていらっしゃるのですか。貴方は陛下よりファルケンシュタイン伯の称号とその領地を頂戴している。そしてファルケンシュタイン伯領は誤っても貧しい土地ではない筈です」 ルドルフは我と我が身を省みた。 ルドルフは常に何の飾り気もない、地味な服ばかりを身につけていた。仕立てこそ悪くないものの、目立つまい、ただそればかりを考えていた為に、形状もほとんど同一である。 「だが、私は」 その先を続けることはできなかった。 目立つと憎まれる。そう思い、長い間目立つまいと心がけてきた。 今ではもう気付いていた。目立たずとも、どんなに人に公平に親切に振舞っても、自分の存在それ自体が憎まれるのだということが。しかしそれに気付いたところで長年の習慣は急には変えられるものではない。 「殿下、私の屋敷にいらっしゃいませんか」 カッツェンエルンボーゲンは優しく言った。 城下にあるカッツェンエルンボーゲン伯爵邸はタウンハウスながらに広い庭が備わっていた。 屋敷に着くなり、カッツェンエルンボーゲンは次々に人々を呼び寄せた。 仕立て屋、帽子屋、靴屋に理容師。貴族を相手に商いを行う彼等は皆宮廷の動向に詳しく、最上級の敬意を払ってルドルフを取り扱った。 仕立て屋は十着もの衣装の新調を受けると破顔して帰って行き、帽子屋は最新流行の帽子を数多置いて帰った。靴屋はサイズ合わせに再び来訪すると約束した。理容師はルドルフの髪の長さを保ったまま、美しく整えると満足した様子で屋敷を後にした。 「お疲れでございましょう。何か飲まれますか」 ワゴンの上のブランディの壜に手を伸ばしかけたが、すぐにその手を止め。 「それとも殿下には温かいココアの方がよろしいでしょうか」 「貴公はすぐにそうして私を子供扱いする」 「それは殿下がとても可愛いらしいからですよ」 カッツェンエルンボーゲンは小間使いを呼んだ。 「殿下に熱いココアを。ブランディをひとたらしして」 ルドルフは断らなかった。 ほどなくして運ばれてきたココアは悪魔のように熱く、不思議な香りがした。 「ありがとう。今日の事で私は少し自信が付いた気がする」 「殿下に必要なのは自信ですね」 自身はブランディのグラスを傾けながらカッツェンエルンボーゲンが言う。 「私の立場が良くなった唯一の利点は、貴公とこうして人目を憚ることなく会えるようになったことだ」 「光栄でございます、殿下」 時計を見たくないと思ったのは初めての経験だった。ルドルフは生まれてこの方、どこにいても身の置き所がないように感じていた。 かつて修道院に入りたいと思った事があった。四方を壁に囲まれ、命を脅かされることのない生活はきっと心地良いだろう。残念な事にルドルフが信仰する新教に修道院は存在しなかったが。 しかしカッツェンエルンボーゲン伯爵家の客間は居心地良く、ココアは熱く、カッツェンエルンボーゲンの存在は甘い蜂蜜のようにルドルフの頑な心を溶かした。 「ラインスター公爵閣下は類稀なるカリスマをお持ちでらっしゃいます。威厳ある話し振り、人を惹きつける巧みな話術、豊富な話題、煌く英知。生まれ持った美貌とそれを彩る豪奢な衣装。そう、黒は着る者が着ればこの上なく派手な色と成りえます。しかし私は知っています。カリスマは作り出せる物だということを。――失礼をお許し下さいませ。 カッツェンエルンボーゲンは椅子から立ち上がり、ルドルフの髪に触れた。思わぬ動きにびくりと身体を震わせたルドルフに向かい。 「殿下、どうか御髪(おぐし)をお伸ばしになられるよう。貴方様の鳶色の巻毛は伸ばされるときっとお美しいに違いありません。そしてどうか体型に合った、明るい色の衣装を着られるよう」 「それにより――、生みだせると? カリスマが」 「いいえ殿下、それはまだほんの手始め」 カッツェンエルンボーゲンはルドルフの髪に自分の指を絡める。 「けれど殿下が私の進言にこれからも耳を傾けて下さるのなら、殿下は必ずや類稀なるカリスマを手に入れることが出来るでしょう」 カッツェンエルンボーゲンはルドルフの髪に絡めた指を引いた。柔らかな鳶色の髪は巻毛となりルドルフの頬に垂れかかった。 「我に力を貸してくれるというのか。これからも?」 カッツェンエルンボーゲンは無言で顎を引いた。 「何故?」 「殿下、貴方はご存知でらっしゃらない。殿下は王子であらせられるのに、まるで孤児のような顔をされる時があります。それが私を堪らなくさせるのです」 カッツェンエルンボーゲンの言葉はルドルフの急所を確実に突いた。足の震えが止まらない。 「カッツェンエルンボーゲン、私は」 ルドルフは思いきって顔を上げた。 「私は王になりたい。王冠は私にとって何の魅力もない。人を惑わし狂わす恐ろしい存在だと今でも思う。だが、私は貴公とのこんな時間をこれからも持ちたい。こんな生活をこれからも続けたい。そのためには王になるしかないのだろう」 「私は貴方が王になられたら良いと願っています。けれどそれは私の願いであり、貴方の願いではない」 「だから一度は突き放したのだろう、あの四阿で」 「私は恐らく殿下が想像していらっしゃるような人間ではありません。そんな私でもよろしければ、私は喜んで殿下のお力となりましょう」 「我の目には貴公は公正で高潔な人物のように見える」 「殿下はいつの日かその言葉を口にした事を後悔なされるかもしれません。恐らく私は、私自身が穢れているからこそ、真っ直ぐで穢れのない殿下が眩しく見えるのです」 御堂の天使を思わせる美しい顔で嫣然と微笑むカッツェンエルンボーゲン伯と穢れという言葉はおよそ似つかわしくなく、ルドルフは目を瞠らずにはいられなかった。 「貴方を助けたいという気持ちは嘘偽りのない真実。けれどその一方で、私は貴方を道具として利用したいだけなのではないか、という疑いが頭から離れないのです」 「構わぬ。貴公の忠誠が純粋に私への好意から生まれるものと思うほど私は稚(おさな)くも自惚れてもいない。貴公は身の危険を顧みず、私を絞首台より救ってくれた。そんなことが出来る男は他にいない。それだけで十分だと私は思う」 カッツェンエルンボーゲンは肩を竦めた。 「私は目的のためには手段を選ばぬ男です。私がもしもラインスター公爵閣下と共寝をしていたとしたら? ――決して有り得ぬ話ですが――、それと同様の振舞いを私がしていたとしても、殿下は気にいたしませんか」 「気にしない。いや気にしないように努めよう」 カッツェンエルンボーゲンの印象的な琥珀の瞳がすぐそばにあった。背筋を伸ばして、その形の良い唇に口付ける。 「殿下……」 「利用されても構わない。貴公は私の命の恩人だ」 応えて欲しい。 ルドルフはカッツェンエルンボーゲンの首に手を回すと、再び唇を重ね、想いを込めて舌を差し入れた。 カッツェンエルンボーゲンは舌を絡めてルドルフに応えた。 「は……」 ずっと夢見ていた。 大好きだった、母のように思っていた家庭教師の息子。人形のように美しいカッツェンエルンボーゲン伯。 偶に会った時、親しげに振舞ってくれるのが嬉しかった。 それ以上を求めるようになってしまったのは、いつからだろうか。墓地での久し振りの再会、それとも命を救われた絞首台からか。 「カッツェンエルンボーゲン」 長い銀糸を引いて唇が離れる。濡れたルドルフの唇をカッツェンエルンボーゲンは優しく指で拭った。 「私を貴公の物にしてくれないか」 「殿下」 カッツェンエルンボーゲンは弱り果てたような声を出した。 「迷惑、であろうか」 「いいえ、殿下。迷惑など決して。ただ――、私は貴方を大事にしたいのです。性急に求めたくはない」 カッツェンエルンボーゲンは今一度ルドルフを強く抱くと言った。 「泊まられませんか、今宵」 カッツェンエルンボーゲンがどのような指示を小間使いに与えたかは判らなかった。恐らくは殿下をご清潔に、その程度か。 気の利く小間使いの手により全身を隅々まで洗われ、蜜蝋で脱毛処理まで施され、挙句の果ては薔薇の花弁の浮かぶ風呂に入らされた。 国内屈指の大貴族、カッツェンエルンボーゲン伯爵家ではこれらは全て当主の日常生活の延長に過ぎないのだろう。けれどこれから起こる筈のことを思うと、その為の物とも思え、ルドルフは大層決まりの悪い思いをした。 柔らかなバスローブを羽織らされ、客用寝室へと案内される。天蓋の付いた豪奢な寝台の上、しかしルドルフはその隅で小さくなって縮こまっていた。 「殿下」 密やかな呼びかけと共にカッツェンエルンボーゲンが客間寝室に入ってきた。 常は髪結びリボンで緩く束ねる黄金巻毛を今は編まずに垂らし、開襟のシャツとショースという軽装である。 寝台の隅で小さくなっているルドルフを認めると笑い、その傍らに静かに腰を下ろした。 「殿下、正直に申し上げましょう。私は抱かれることは多くとも抱くことは少ないのです。そしてこれからも他の殿方に抱かれないとは保障できない。愛故ではなく、私の抱く野望それ故に」 「カッツェンエルンボーゲン、私は先程言った筈だ。構わないと」 カッツェンエルンボーゲンはルドルフの肩をそっと抱いた。思わず身体を硬くするルドルフに向かい。 「初めてなのですか、殿下?」 ルドルフは無言で頷いた。 カッツェンエルンボーゲンはルドルフの耳朶を軽く噛むと、甘く囁いた。 「怖くはありませんよ、優しくします」 耳に舌が差し入れられた。ルドルフは未知なる感覚に恐怖したが、それも一時のこと。唇で優しく食まれ熱い舌先で舐め上げられて、次第に吐息に甘さが滲んでいく。 「あ……」 肩からバスローブが引き下ろされる。背後から伸ばされたカッツェンエルンボーゲンの手が鎖骨を滑って胸元へと流れる。抱き寄せられて再び口付けられた。舌を絡めて甘いキスに酔う。 「カッツェンエルンボーゲン」 恥ずかしいのですか? 囁いて、カッツェンエルンボーゲンは寝台側の飾り棚に置かれた燭台を遠ざけた。 寝台に押し倒され、脚を広げさせられる。ルドルフの脚間のそれは既に芯ある硬さになっていた。 カッツェンエルンボーゲンは窄まりに舌を這わせた。羞恥に身をよじるルドルフを首を振って宥め、熱い舌を挿し入れる。尖った舌先は頑な入り口をこじ開け、内壁へ侵入した。 熱い舌に、その愛撫に翻弄され、ルドルフは下肢に力を入れることができなくなった。 「殿下」 人形のように、女のように美しいカッツェンエルンボーゲンにはおよそ不釣合いとも思えるそれが天を突いていた。恥ずかしさから直視することが出来ず、視線を逸らす。 秘所に先端を押し当てられ、ルドルフは思わず吐息を漏らした。 「私は貴公がずっと好きだった」 背中に腕を回し、決意のほどを表す。 「ずっと貴公を想っていた。貴公とずっとこうなりたいと願っていた」 カッツェンエルンボーゲンはその琥珀の瞳を優しげに細めると、おもむろに腰を入れた。 「っ……」 「辛いですか、殿下?」 無言で首を振る。辛くないと言えば嘘になる。だが途中で止めて欲しくなかった。ず、更に深く腰を入れられ、ルドルフは震える手でシーツを掴んだ。 「けれど慣れればもっと良くなりますよ」 雪花石膏(アラバスター)のように白く、均整の取れたカッツェンエルンボーゲンの身体が自分の上で上下していた。遠ざけられた燭台の炎がその黄金の髪を後光のように縁取る。 「次があるのか、カッツェンエルンボーゲン」 「殿下がそう望まれるのならば」 「嬉しい」 期せずして目尻に涙が滲んだ。 その行為はしかし苦痛だけをもたらすものではなかった。気遣うように優しく擦られると、下肢から堪らない快楽が生まれる。 声を殺すために口に当てられたルドルフの手をカッツェンエルンボーゲンは外し。 「殿下、良いのですよ。人払いをしました。この屋敷には殿下と私の二人だけ」 「……あ……っ……」 「私に殿下の可愛い声をお聞かせ下さい」 言葉にも煽られてルドルフは声を上げた。折り曲げた脚を更に開かされ、カッツェンエルンボーゲンはルドルフにより深い結合を強いた。 ――きっと自分は蛙のように無様な姿をしているに違いない。 恥ずかしさに消え入りたい気持ちになったが、カッツェンエルンボーゲンの熱い口内に耳を含まれた途端、そんな他愛もない羞恥心は霧散した。 「お耳が弱いのですね、殿下は」 涼しげな顔で告げるカッツェンエルンボーゲンの白い肌がほんのりと紅潮していた。その緩慢な律動は少しずつ激しいものになっていく。 「私は久し振りに自分が男であることを実感しております。殿下、貴方は本当にお可愛らしい」 カッツェンエルンボーゲンの言葉は甘い毒のようにルドルフの耳を犯した。 「殿下、よろしいですか」 やがてカッツェンエルンボーゲンの掠れたような囁きが上がる。 「来てくれ、カッツェンエルンボーゲン。欲しいんだ」 シーツに腕を付き、腰を突っ張らせると、カッツェンエルンボーゲンは精を放った。熱い液体がルドルフの奥深い場所で迸り、やがてそれは染み入るように広がっていく。 気付くとルドルフは頬を熱く濡らしていた。 四阿で流した物とは違う、それは嬉し涙だった。 |
つづく |
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