薔薇の冠 6 |
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カッツェンエルンボーゲンは到底隠し遂せないその負傷を落馬と取り繕い、翌日から奔走した。 懇意の牧師に渡りを付け、大蔵卿レオンハルト・フォン・エッシェンバッハとの会談を取り付けたのだ。 大多数の新教徒のたぶんに漏れず、エッシェンバッハはラインスター公爵の戴冠を恐れていた。英国のブラッディ(血まみれ)メアリ治世のような新教徒への粛清を畏怖したのである。 エッシェンバッハはカッツェンエルンボーゲンの説得に応じ、ルドルフ王子への協力を約束した。 「大丈夫なのか、本当に」 約束通り、カッツェンエルンボーゲン伯爵邸を訪れたルドルフ王子は煩いまでにカッツェンエルンボーゲンに纏わりついた。 ――敏い方だ。 ルドルフはカッツェンエルンボーゲンの落馬の言い訳は端から信じず、反対勢力の仕業ではないかと疑った。 「申し上げましたでしょう、殿下。私は注意深いと」 「注意深い男が落馬をするものか」 カッツェンエルンボーゲンは困惑し、両手を広げてルドルフを誘った。 おずおずと近付いて来たルドルフを背後から包み込むように抱き締めると膝の上に載せる。 シャツの釦を一つ二つと外していき、開かれた袷に手を滑り込ませた。 頂きに指を這わせ、中心を摘み上げると、すぐに固くしこる。指と指とで擦りあげるようにして愛撫すると、ルドルフは小さく喘いだ。 「駄目だ。貴公の傷に……触る……」 「大丈夫ですよ、殿下」 首筋を舌で舐め上げ、指の腹を使ってしこった頂きに刺激を与える。背を反らし、懸命に愛撫に耐えるその姿は堪らなくカッツェンエルンボーゲンの情欲を煽った。 唇と舌を使って、緊張に強張るその身体を優しく解していく。 脚間のそれは既に芯ある固さ。指を巻きつけ、括れたその部分を優しく擦ると、蜜口から溢れた液体がとろりと濃く粘った。 「私は……心配なんだ……」 息を荒げながら、ルドルフは懸命に訴えた。 「今までは生きるも死ぬも自分一人だけの問題だった。けれど今は貴公を巻き込んでいる。私の未来によって貴公の命運が決すると思うと」 「それは私も同様でございます。私の動き次第で殿下の未来が決まる。けれど」 溢れた蜜を蕾に擦り付ける。びくりと身体を硬くしたルドルフを宥めるように、カッツェンエルンボーゲンは耳朶を甘く噛んで囁いた。 「殿下は、殿下の命だけは何があってもお守りするとお約束しましょう。私の命に代えても」 「何故、何故なんだ。カッツェンエルンボーゲン……」 屹立を蕾に宛がうと、初体験の時の耐えがたい痛みを思い出したのだろうか、ルドルフは顔を引き攣らせてずり上がった。 「殿下……」 「平気だ、カッツェンエルンボーゲン。……挿れてくれ」 「貴方は――」 昂ぶりをねじり込むと、喉を反らせてルドルフが啼いた。 「あ……あッ……」 粘膜が馴染むのを待ってからゆっくりと動き始める。 「不幸だった私の子供時代を思い出させるからだと言ったら、お気を悪くされるでしょうか」 ルドルフの鳶色の瞳に怪訝そうな色が浮かぶ。 恐らく王子は考えているのだろう。カッツェンエルンボーゲンの不幸とは何なのかと。きっと王子の脳裏に浮かんだのは母の死か。 けれどカッツェンエルンボーゲンの不幸の根源はそこにはなかった。 「貴方を他の誰よりも甘やかして可愛がり、いつもその笑顔だけを見ていたいと思うのですよ」 瞼をほんのりと朱に染め、眉根を寄せて呻くルドルフが誰よりも何よりも愛しかった。 腰を揺すり、深く突き、カッツェンエルンボーゲンは極みに向けてルドルフを追い立てていった。 燭台の炎は舐めるように伸びて、寝室の壁に二人の影を長く落とす。 「王太子が病を得た今、陛下がその原因を王妃に、帝妃に求めるようになるのはもはや時間の問題でしょう。そして真実を知れば、陛下は恐らく婚姻無効への動きを進める」 王子をその胸にかき抱きながら、カッツェンエルンボーゲンは次なる一手を考えていた。 「しかしながら陛下は旧教徒。しかも殿下の母上に引き続いて二度目の婚姻無効ということになれば、教皇庁はそれを容易には認めないでしょう。さらに教皇庁はラインスター公爵贔屓。いかに婚姻解消までの時間を引き延ばすか、それに腐心するに決まっています」 柔らかな鳶色の髪に口付けを落とすと、ルドルフはカッツェンエルンボーゲンの裸の胸に頬をすり寄せてきた。 「陛下が婚姻無効の手続きを取り、次に迎える王妃との間に正当な跡継ぎを作られる。その事態を何よりも恐れているのは実は殿下ではなく、ラインスター公爵閣下にございましょうね」 その名を聞くや、びくり、胸の内のルドルフが震えた。カッツェンエルンボーゲンはその強張りを解くように、ルドルフを優しく抱き締めた。 「もしも私が閣下ならば、陛下を弑し、その罪を殿下になすりつけようと画策することでしょう」 ルドルフは上体を起こすとカッツェンエルンボーゲンを見た。 「ゆうべの舞踏会で何か変わった動きはありませんでしたか」 「特には。いや――」 ルドルフは考え込むように俯いたが、すぐに顔を上げ。 「気鬱の王妃殿下をお慰めするために、ラインスター公爵が城館で園遊会を催すらしい」 「ラインスター公爵が? 」 「陛下にそう進言するのを耳にした。国王も王妃も乗り気でいらっしゃった」 野心家のラインスター公爵とはいえども、自分の館で国王を弑すような無謀は起こすまい。だが、その罪をルドルフに擦りつけようと画策する可能性は否定できない。 「舞台を造り劇団を呼び、庭で狩りを行うという大掛かりな物になるらしい」 「狩りや騎馬槍試合には不慮の事故が付き物」 不気味な予言を思わせる言葉の響きで、カッツェンエルンボーゲンは言った。 「殿下、臆病な兎のように注意深く耳を澄まし、時には狼の如く打って出ましょう。それが生き残る唯一の道です」 ルドルフはその鳶色の瞳に真剣な色を称えて、深く頷いた。 身の安全を第一に考え、急病の名目でルドルフを欠席させると、未だ痣の残る顔を巧みな化粧で覆い隠し、カッツェンエルンボーゲンはラインスター公爵主催の園遊会に出席した。 王都の外れにあるラインスター公爵の城館は国内随一の大貴族にふさわしく壮麗な物だった。 城館に隣接する森で大規模な狐狩りが行われた後、中庭では王都で評判の劇団による新しい劇が上演された。 日が暮れる頃には、カッツェンエルンボーゲンは自分の心配が杞憂であったかと思い始めていた。 ――殿下も参加させるべきであったかな。きっとお喜びになられただろう。 楽しい事をあまり経験されて来なかったであろうその境遇を思うと胸が痛んだ。 北国の短い夏の夜を愉しもうという趣向から、夜食は露台で振舞われた。広いといえども露台は露台、あぶれた貴族達は露台を見晴らす部屋で各々楽しんでいた。 床几に腰を掛け、ブランディを嗜んでいると、大貴族の従僕と思しき、お仕着せを着た男が歩み寄って来、辺りを憚る風情でカッツェンエルンボーゲンにそっと耳打ちした。 「我が主人が閣下にお目にかかりたいと仰っておられます」 言って、従僕は懐からそっと本を取り出し、その表紙を見せた。『小教理問答』それは新教の創始者、マルティン・ルターが新教徒向けに著した本であった。 「白鳥の庭園の礼拝堂にて」 ひそかな新教趣味を持つ貴族に違いない。従僕がその身に纏う豪奢なお仕着せ、極端に人目を憚るその様子から、かなりの大物の可能性があった。 カッツェンエルンボーゲンは頃合を見て大広間を後にした。 白鳥の庭園の中にその礼拝堂はあった。祠とも言い換えられるだろう、小さな礼拝堂。 ラインスター公爵はいついかなる時にも祈れるよう、広い城館の中にそれらを数多造らせたに違いなかった。 木製の扉を開け、中に入った途端、全身が総毛だった。小さい礼拝堂の中は甘い、くらむような匂いが満ち満ちていた。 ――この匂いは……。 乳香だった。 思わず服の袖で鼻を覆った。この匂いは嫌いだ。寒気がする。 祭壇の前に跪いていた貴婦人がそっと立ち上がった。長いマリア・ヴェールを被っている為に、その顔を伺う事は出来ない。 カッツェンエルンボーゲンは相手が女性であったことに驚きを隠せなかった。 「お待ち申し上げておりました」 何処かで聞いたことのある声のような気がした。知己であろうか。 マリア・ヴェールを下ろしたその貴婦人がゆっくりと振り返る。 それは、王妃マリア・カタリーナ、その人であった。 「王后陛下……」 一体何が起きているのか判らなかった。心臓の鼓動が早鐘を打っている。 王妃は答えず、感情のない蒼白な顔をカッツェンエルンボーゲンに向けた。 静かに歩み寄ると、腕を伸ばしカッツェンエルンボーゲンの首に絡めた。柔らかな胸の膨らみがそっと押し付けられる。 カッツェンエルンボーゲンは反射的に両腕を伸ばして王妃を押しのけた。 次の瞬間、絹の裂ける音と共に王妃の悲鳴が上がった。王妃は自ら服を引き千切ったのである。両の乳房を露にした姿でその場に蹲る。 背後で扉の開く音がした。 「陛下!」 カッツェンエルンボーゲンもよく知る王妃付きの近習が、長靴の音も荒々しく礼拝堂に飛び込んで来た。王妃の姿を見るや、素早くマントを脱ぎ、それで身体を覆う。 王妃の啜り泣きの声に重なり、凛とした声が響いた。 「我が神の庭で、王后陛下に乱暴を働いた不届き者がいるようだ」 そこにはラインスター公爵が立っていた。 ――狙いは私か! 王宮の廊下で行き会った時、カッツェンエルンボーゲンが口にしたその言葉は思いもかけず公爵の急所を射抜いていたのだろう。自分が国王の閨をぬくぬくと温めているその間、この男は着々と王妃を陥落させていたのだ。 カッツェンエルンボーゲンはそこで初めて、自分が巧妙に張り巡らされた蜘蛛の巣に落ちたことを知ったのだった。 重罪人並みの扱いでカッツェンエルンボーゲンは国王の前に引きずり出され、その場で司法副長官の座を剥奪された。 牢に引き立てられながら、カッツェンエルンボーゲンは悔やんだ。 常に肌身離さず持ち歩いていた自害用の砒素、疑われぬ用心の為に今日に限って持ち合わせなかったのは失策だった、と。 |
つづく |
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