千の雪が降る 2





「ディーターはディートリヒの略称ですよ。昔のゲルマンの王の名ですね、確か」
 犯罪捜査課。アルに向かい合う形でデスクに腰を下ろしたランツベルク部長刑事が言った。
「姓も特殊ですね。あちらの方ではないでしょうか」
 男の姓名を告げて何が判ると聞いたところ、返って来た答えがそれであった。
「あちら?」
 上がり調子に尋ねたところに部長刑事の声が重なる。
「ああ、ありましたよ。ハードカースル警部、これです」
 机の上に資料を広げる。ドイツ語で書かれたその内容はアルには読み取ることが出来ない。けれど資料に添付された写真が如実にその内容を物語っていた。
「ばらばらですね、ものの見事に」
 子供から大人まで男女を問わず。ゆうに16枚を数える被害者の写真には何一つ似通った部分がなかった。
「おかしくはないか。快楽殺人犯が狙う被害者のタイプは、通常は非常に似通っているものだ」
「テッド・バンディはすべて同じタイプでしたね。長い黒髪を真中で分けた……」
「彼女はひょっとしたら快楽殺人犯ではなかったのかもしれない」
「性的な快楽を覚える為でなければ、どうして16人もの人間を殺害したのでしょうか」
「カルト集団ということはないかな。そう、ある種の黒魔術のようなもの」
「今度はマンソン・ファミリーですか? ポランスキー監督邸に押し入りその妻の腹から赤子を引きずり出して殺したという。けれど悪魔に捧げる生贄にしても16人は多すぎるでしょう。魔王でも呼び出すつもりだったのでしょうか」
 ランツベルク部長刑事はぴん、とデスクに散らばった写真の一つを爪先で弾いた。綺麗に磨かれたその爪先を見ることもなく眺めながら。
「協力を感謝する。そちらの主任警視には私から話を入れておいた。暫く君を借りることになると思う。ブラックロックから片腕を奪うことになってしまって申し訳ないが」
「乗りかかった船です、私もこの件は気にかかっておりましたので。ところで、バスティン主任警視は何と?」
 アルの直属の上司である犯罪捜査課の主任警視の名が挙がる。
「好きなように、君がそう信じるのならば。だが期限は区切られた、一ヶ月だ」
「厳しいですね、それは」
「仕方がない、未解決の事件は多い。起こるかも知れない未然の事件にそうそう時間を割く訳にはいかない。とはいえ、ほとんど事務作業だと思っていたんだ。ここ数年の行方不明者を洗いだし、目撃周辺で聞き込みを行う。まさかこれほどまで対象者がばらばらとは」
 緩く首を振った後、アルは口調をがらりと変えて。
「だが、私はやるつもりだよ。たとえ雲を掴むような話でも。事件は起こってしまってからでは遅いんだ。彼女のやり方はひどい。人の心を持つ人間がすることのようには思えない、狂気の……沙汰だ」
 ランツベルク部長刑事は金褐色、殆ど黄金に近いその瞳でアルを見た。物問いた気な視線を返したアルに向かい、やがて静かに。
「私は実は貴方は鼻持ちならないエリートだと思っておりました。貴方はやはり警察官なのですね、誤解していたことを謝ります」
「警視総監の息子だからと色眼鏡で見られることは慣れている。父と同じ道をあえて選んだからには差し引いて評価されることも覚悟している。だが私はどうしてもなりたかったんだ、父と同じ警察官に」
 ランツベルク部長刑事が自分を好もしそうに見つめていることに気付き、アルは口早に先を続けた。
「被害者の特徴を洗い出せないのなら本人を探しだすしかない。まだ国内に滞在しているとしたらの話だが。何と言っても目撃されたのがロンドン塔だ。西ドイツ連邦警察の部長刑事同様、観光で来て、そのまま立ち去ったのかもしれない」
「だとしたら有り難い、と言ったら罰が当たりますかね」
「足取りだけは掴んでおきたいと思う。そう、快楽殺人犯の更生は極めて稀なこと。死ぬまで、逮捕されるまで罪を犯し続ける。事件がまだ明るみに出ていないのでない限り彼女はもう亡くなり、娘だけをこの世に残したのかもしれない。それさえわかれば西ドイツ連邦警察の部長刑事も安心して勇退することが出来るだろう」
「そうですね、私もそう願っています」
 二、三の調書の訳文を請け負うと、ランツベルク部長刑事はまだ仕事がありますので、と言い残して特捜機動課に戻っていった。
 目撃情報のあったロンドン塔周辺に派遣していた部下からは捗々しい報告は得られず、その日の午後、アルは自らロンドン塔に赴いた。
 午後一杯を費やし聞き込みを行ったが、成果はゼロ。チケット売り場の係員も土産物屋の店員もアルが差し出す古い写真に、ひたすら首を振るばかりだった。
ふと、あの男に会ってみようかと思い立った。
 男が勤務する会社の名は既に調べていた。テムズ右岸に存在する食品関連会社を片端から調べ、ディーター・クラインという社員はいるかと尋ね回った。幸いにして、四社目で裏が取れた。

「驚いたよ、警部。ひょっとしたら僕はCIDにマークされているんだろうか」
 近くまで来たので、よくある台詞を口にしながら面会を求めたアルに、開口一番、男が言った。研究員という言葉は嘘ではなかったらしい。男は白衣姿だった。
 差し出された珈琲を啜りながら、いつになく言葉少なな自分に気付く。
「見れましたか。あれから」
「やれやれ、またそれか。見てないよ、君は?」
「私もまだです」
 主語を省略して交わされる会話。それは二人だけの暗黙の了解であるタワーブリッジの跳ね橋を意味していた。
 ふいに会話は途切れる。沈黙に耐え切れず、アルはその写真を取り出した。西ドイツ連邦警察当局より送られたリーゼル・ミュラー、その人の写真を。
「古い写真だね」
 テーブルの上に置かれたその写真を見、男の眉がゆっくり跳ね上がる。確かな手応えを感じたアルは食い入るようにして男を見つめた。その一挙手一投足たりとも見逃すまいと。
 男は拍子抜けしてしまうほどごくあっさりと答えた。
「本人ではないと思うんだが、よく似た女性は知ってる」
「本当ですか!?」
 思わず身を乗り出すアルとは対照的に、男は淡々と。
「いつかな、確か先週だったと思う。タワーブリッジの上で声を掛けてきた。僕が業界機関紙に掲載した記事について興味を持ったと言いながらね。その後社内の会議室で少し話した。その彼女に似ているような気がする。だけどこれは……」
 言って、写真の女性の輪郭を指でなぞる
「とても古い写真だから」
「その女性の名は?」
「クレアだったかな。苗字は何だったろう。確かビジネスカードを貰った筈なんだが、あれはどこにやったか」
 男はおもむろに財布を取り出すとその中身を確認し始めた。カード類を手繰る細く白い指を何故か目で追ってしまう自分がいた。どうやら目指す物はなかったらしい、男は残念そうに溜息を付くと。
「家に置いて来たかもしれない。明日持ってこよう。いや……」
 何を思いついたのか、男は唐突に唇の端を吊り上げて笑った。
「僕の家に来るかい、警部」
 誘いは、捜査の進捗を喜ぶ気持ちを遥かに越える、耐え難い誘惑だった。





「人を通すのは久しぶりなんだ」
 言い訳めいた言葉を口にしながら男が扉を開ける。ロンドン市内によくある煉瓦造りのアパートメントの一室。アパートメントの外扉を鍵で開け、部屋も鍵で開けて入る二重構造である。独身者だと家に向かう途中で聞かされていた。けれど人を通すのは久々という言葉から受ける印象とは裏腹、こじんまりとして居心地の良さそうなその部屋はきちんと整頓され、塵一つない。アルの表情を読んだのだろうか。
「ほとんど寝に帰るだけでね」
 通された客間。ソファに座るようにと言い置いて、男は別室に向かう。ほどなくして首を振りながら別室から出て来ると。
「おかしいな、捨ててはいない筈なんだが見当たらない。無駄足を踏ませたね、警部」
「私のことはどうかアルと呼んで下さいませんか。警部は私の名ではありませんので」
――以前にも同じようなことを口にした気がする。
 苦笑いを浮かべつつ、アルは再び主張した。
「ああ、そうだったね、すまない。それじゃ、僕のこともディーターと呼んでくれるだろうか」
 すぐに帰すのは申し訳ないからね、何か飲み物でも。
 そう言って男は台所に立った。やがて湯気立つマグカップを二つ手に持ち戻って来る。
「生憎と瓶詰めの珈琲しか用意がなくてね」
 砂糖とミルクは? 問いかけに首を振る。男はアルの腰掛けるソファとはコーヒーテーブルを挟んだ向かい、足載せ台の付いた安楽椅子に腰を下ろした。
「それで……、彼女は何をしでかしたんだい。とても綺麗な女性だったが」
「いえ、彼女が何をしたという訳でもないのです。ある事件のちょっとした参考人ですね」
 職業柄、好奇心を前面に押し出して尋ねてくる一般人の処理には慣れていた。刺激はさせない、けれどほんの少しだけ好奇心は満たしてやる。それが警察官の処世術。
「さて、彼女の名刺はどこにやったか。どうあっても探し出さなくてはなるまいね」
「彼女から再度のコンタクトがありましたらご連絡を頂けますか」
「勿論。連絡先を?」
 眉を上げて促され、アルは犯罪捜査局犯罪捜査課直通の連絡先を告げた。
「CID、まさにヤードの花形だね。君はどうして警察官に? お父上を見習ってかい」
「いいえ、全く。幼い頃には仕事に追われ家に帰って来ない父にむしろ反発すら覚えていました。警察官だけにはなるまいと思った時期もあるほどです」
「だが今の君は警部だ。そこに至るまでの間にどういう心境の変化があったんだろうか。興味があるね」
――上手く説明が出来るだろうか。
 自分が警察官になるきっかけとなったその事件を思い出し、アルは唇を噛んだ。これまで誰にも、同じ警察機構に属する者にすら話したことのなかったその事件。
 アルは思いきって顔を上げた。
「学校で事件が。被害者は私の親友でした。寮も一緒、入学した時から気が合っていつも一緒だったんです」
 手にしていたマグカップをコーヒーテーブルの上に置く。指と指を組んだその上に顎を乗せて。
「それほど出来事ではありませんし、新聞にも大きく報じられましたから、或いはご存知かもしれません。帰省途中で誘拐されたのですよ。南米では日常茶飯事のようですね、エクスプレス・キッドナップ。身代金を小額に留め、警察沙汰にならぬうちに素早く帰す。彼は実際良い家柄の出で、家族には支払う余地が充分にありました。警察には届けず身代金を払い、すぐに帰って来ました。そう……死体となって」
 男はその黒曜石の瞳を細め、アルの話に静かに聞き入っていた。黒い瞳に浮かぶのは痛ましさ、それとも好奇心、或いは――。
「何があったのか。仲間内で揉めたのか、それとも彼が騒ぎでもしたのでしょうか。真相は藪の中。そう、犯人は掴まりませんでしたよ」
 瞳を閉ざす。目を閉じた闇の中に浮かぶのは、若き日の友の姿だった。
「私は責められましたよ、学友から。私の父は警視総監こそありませんでしたが、当時警視監の職にありましたから。けれど学友に責められるそれ以上に、私は自分の父を、いや警察機構そのものを憎みました。何故未然に防げなかったのか、どうして逮捕することが出来なかったのか」
「警部、飲まないか。どうやら君は少し興奮しているようだ。気を落ち着かせてから帰った方がいい」
 男の落ち着いたアルトの声には有無を言わせぬ響きがあった。まるで暗示にかかったかのように、アルはのろのろと頷いた。
 貰い物でね、来客用に取っておいたんだ。
 持ち出されたスコッチウィスキーのボトルはバランタインの三十年物。滅多にお目に掛かれない名酒の登場に目を見張るアルの前で、男はためらいもなく栓を捻り、慣れた手付きで水割りを作り始めた。
 差し出されたグラスを受け取る自分の手が震えている事に気付いた。男の指摘通り、どうやら自分は思っているよりも遥かに強く感情を昂ぶらせてしまっているらしい。
 琥珀色の液体が満たされたグラス、その半分ほどを一息に飲み干してしまう。
「堂々巡りを繰り返し、歳月だけが無為に流れ、そして気付いたのです。人に要求を突き付けているだけでは駄目なのではないかと」
 毎日のように話題にしていたその事件を誰も口にしなくなり、学友もまた現実を見通せるほど大人になり、誰も自分を責めなくなったその頃。アルは一人で考え込むことが多くなった。アルの懊悩の種であった、どうすれば良かったのか、はやがてこれからが何が出来るかに変わっていった。
「やってみようと思いましたよ、いつか自分の手でこの事件の真相を解明しよう。たとえそれが適わなかったとしても、私と同じ思いをする人間を少しでも減らせたら。『私のしていることは、大海の水をバケツで汲み出しているようなものだと知っています。それでも海からはバケツ一杯分の水が減っているのです』 マザー・テレサの言葉ですよ。もっとも私はカトリックではなくプロテスタントですが。それでもその言葉は私の胸に強く刻まれました」
 どうしてこんなことを話しているのか。
 会ったのはたったの三回。碌に知りもしないこの男に何故――……。その理由はアル自身にさえもわからなかった。
「被害者の悲鳴は私の親友の悲鳴、家族を殺された人間の嘆きは私の嘆き……」
「それが君が警察官を志望することになったきっかけか」
 徐々に割られる酒の量が多くなっていることに気付く。結構です、手を挙げて制そうとしたが、まあ、いいじゃないかと注がれてしまう。バランタインの三十年物、それは断るには惜しい名酒であった。
「可哀想に。君はまだ立ち直っていないんだね、友のその死から」
 アルは軽い酩酊状態にあった。ウィスキーは甘く、喉を通る時は火のようで、胃の腑に落ちると体がカッと熱くなった。男の声がひどく遠いもののように聞こえる。そう、自分は確かに立ち直っていないのだろう。軽く話せるだろうと思い口にした打ち明け話にこんなにも興奮してしまうほど。
 ふいに我に返った。
 帰ります、と男に告げ、ふらふらと立ち上がったその時、だしぬけに手首を掴まれた。男の白い手はひんやりとしていて、ひどく冷たく感じる。
「そんな状態じゃ帰れないよ、警部。僕が君のお父上に叱られる」
 ぐいと手首を引かれて前のめりの体勢となる。男の唇が誘うように柔らかく開かれたかと思うと、アルの唇に重なった。予想だにしないその行為にアルの身体が固まる。
 男の熱い舌がアルの唇を強引に割って滑り込んでくる。男の舌は熱く、ほんの少しウィスキーの味がした。舌を吸われて唾液を絡められる。ぞくり、アルの背筋に電流のような物が走り抜けた。
 口付けを受けるその間はアルにとって永遠のように感じられた。実際はほんの数秒に過ぎなかったのだろう。
 長く銀糸を引いて男の唇が離れる。アルの目前で、男の濡れた紅い唇が緩く孤を描き――。
「男の経験は? 警部」
 心持ち顎を上げて男は尋ねた。


 しゅるり、布が擦れ合う微かな音と共にネクタイが解かれた。背後から伸ばされた細く白い指が、シャツの釦を一つ一つ外していく。
「警部と話すなんて滅多にない機会だからね。何だか帰したくないんだ」
 首筋に唇が寄せられたかと思うと、つっ、血管に沿って舌が滑らされた。
 止めてくれ、と言いたかった。けれど唇を開き言葉を発せば、それは嬌声にすりかわってしまうだろう。
 何杯飲んだろうか、三杯は確実、だがその程度で自分が潰れる筈もない。
 すると薬か? 徐々に思考を纏められなくなりつつある頭で、ぼんやりと思う。警察官ともあろう者が何と迂闊な……。
 シャツの釦が全て外され肩から袖が引き抜かれた。露にされた上半身、男はさながら値踏みをするように瞳を細め。
「流石は警察官、よく鍛えてるようだ」
 筋肉の隆起に沿い細い指が這わされる。冷たい男の指先の感触は、さながら這い回る蛇を連想させた。
 男はアルのスラックスのベルトに手を掛けた。密やかな金属音が上がり、ベルトが引き抜かれる。スラックスが下着ごと下ろされた。晒された自身、思わず視線を逸らす。
 男はソファから下りるとアルの足の間に入り込んだ。紅を引いたように赤い男の唇が開き、次の瞬間、アルのそれは温かな男の口内に含まれていた。
「……!」
 一度喉の奥まで挿れて、唾液ですっかり濡らしてしまうと、赤い舌を覗かせてそれを舐め始める。
 客間の天井まで達するかのような粘着質なその音に煽られて、アルの頬がカッと羞恥に染まる。
 男の経験は皆無ではなかった。パブリックスクールの悪癖とも言えるその行為を、アルはかつて好奇心から行った事がある。けれどもそれはあくまで若き日の遊戯であり、彼の性癖を決定付けるものでは決してなかった。
だがアルがその手解きを受けたどの上級生よりも、彼は手馴れていた。
 薬の影響か、思うように身体が動かない。アルは震える手で男の頭を抑えた。柔らかな漆黒の髪を引っ張って、その巧みな舌技から逃れようとする。
 が、男はそれを許さず、喉の奥でアルの昂ぶりを締め付けた。
「ッ……あ……」
 ひどく呆気なく、アルは達した。
 男は喉を鳴らしてそれを飲む。飲み干してしまうと、舌先で先端をぺろりと舐めて。
「溜まってたのかい、早いね」
 額に垂れかかる髪間から男の黒い瞳が覗く、何とも表現し難い、不可思議な光を称えて。
 男は自らの口内に指を差し入れるとそれに唾液を絡めた。
 濡れたその指がアルの窄まりに押し当てられる。つぷりと指が差し入れられた。体内に異物が入り込むその感覚に耐えず、アルはぶるりと身を震わせた。
「――同性と寝たところで別に法に触れる訳じゃない。警部、僕は誰にも話さないよ」
 アルは殺意すら混じるような気のする憎悪に満ちた視線で、男をキッと睨めつけた。 
 男は一向に動じず、内壁を掻き回すその指を二本に増やした。奥まで挿れ、内壁内部でくっと指を折り曲げる。
「……!」
 男の巧みな舌技によって精を搾り取られて萎えていたそれが再び頭を擡げる。その様子を見て、男は喉奥で満足げな笑い声を上げた。
「何故……こんな……」
 やっとのことで発した声、男は弓なりの眉を上げて。
「どうして? 僕は君が気に入った。亡き友の為に自分を捧げる警察官。実に素晴らしい存在じゃあないか。知りたくなったんだよ、君の事をもっとね」 
 指の腹で内壁をこそげ落とすように動かす。白々しいことを、反駁しようと開きかけたアルの唇から漏れたのは、しかし掠れたようなうめき声に過ぎなかった。
 男は衣服は脱がず前だけを寛げると、正面から向かい合うような形でアルを自分の膝の上に乗せた。熱く硬い男の昂ぶりを肛孔に感じる。
 徐々に効き始めた薬のせいか、もはや口を開くことすら侭ならない。アルは観念して瞳を閉ざした。
 肉の凶器が、狭い内襞を割って入ってくる。美しいその顔に見合わず、男のそれはひどく大きく熱かった。女のそれとは違う果てのない肉筒に、男の茂みの感触を知るほど深く強く押し込まれる。
 筋肉で引き締まったアルの腹部に男の白い手が伸びた。腹部を弄るその手の感触が堪らない。せめてもの抵抗に首を振ると、耳元で囁かれた。
「警部、僕のが入ってるよ。どんな感じだい、言ってみて?」
 身体がカッと熱くなる。羞恥によるその震えは皮肉なことに、男をより強く締め付けてしまう結果となった。
「ああ、良いんだね。嬉しいよ、警部」
 男がゆっくりと動きはじめる。緩慢なその律動は、すぐに抉るような動きに変わる。
「ッ……ん……」
 どこにそんな力が、と思わせてしまうほどの激しさで、容赦なく突き上げられた。突かれるその度、ソファの背凭れに頭が当たり、内臓を突き破られるのでは……という恐怖に苛まれる。アルは懸命に呻き声を殺した。それは刑事としての最後のプライドだった。
 唐突に男の動きが止んだ。
「名前は?」
 霞みのかかった視界の中で、気付くと男が尋ねていた。
「君の親友の名、まだ聞いていなかった」
 甘く包み込むような優しい声音だった。思わず錯覚してしまいそうになる。癒しを、救いを、この男が齎してくれるのではないか、と。 
 アルフレッド、昔の大王の名だ。アルと呼んでもいかい。僕の名も王の名前なんだ。僕の名は――。
 張り詰めた、鈴を鳴らすように清冽だったその声が耳に蘇る。
「……ード……」
「聞こえないよ、警部」
 ぐい、と奥まで突き込まれた。アルは歯を食い縛り嬌声を押し殺し、そうして叫んだ。
「エドワードですよ! 満足ですか、これで!」
「ああ、満足だ」
 男は体の間のアルの昂ぶりを掴むと強く擦り上げた。同時に腰の動きも激しいものにする。
 前後からの容赦のない刺激に、アルは弓なりに背を反らせて達した。射精と同時、男の熱い白濁もまたアルの体内に注ぎ込まれる。

 エドワード。
 それは伝統的な英国王の名。強欲な叔父リチャード三世によってロンドン塔で弑された悲劇の王子の名。
 記憶の闇の底に沈めた筈の友の名だった――。







つづく
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