冬の狼 13





 アドリアンは大家族の末子で、長兄とは親子ほども年が離れていた。
 その祖父ともなれば、かなりの高齢となるのだが、まだまだかくしゃくたるもので、すぐにしっかりしたフランス語で、アドリアンの手紙の返事を書いて寄越した。
 曰く、その疫病は自分が幼い頃に体験したものによく似ている。だがその疫病は夏の盛りを頂点になぜか収まった。まもなく冬が来る。よしんばその疫病が同じものだとしても、恐れることはないだろう。
 その後は孫息子の身体をいたわる文句が連なり、偶には実家に遊びに来るようにと結んでいた。
 帰郷を促す一文に胸が痛んだ。怪我を負い、主君替えをしたとは伝えていたが、祖父も父も母も兄弟たちも誰一人としてアドリアンの実情を知らなかったのだ。
「夏の暑さと共に去る訳ね、一体どうしてかしら」
 コージモ親方の仕立て屋の小さな台所で、二人は夕食後の団欒を楽しんでいた。久々に宿下がりをしていたエヴァンゼリンを相手に、彼女が手ずから焼いた牡丹杏のケーキを突付きながら、アドリアンは考え考え、ゆっくりと言った。
「寒さに弱いのかもしれない、その病の源が」
「風邪は冬に流行るというのにね」
「確かに」 
「ラインスター辺境伯領は封鎖されたそうだけど、国境を接するエルスファーレン大公国にまで既に飛び火しているらしいわ」
「屈強な騎士たちも病の前には為す術なしか」
 辺境地帯を守護するために置かれた辺境伯の座だけに、ラインスター辺境伯の騎士たちは屈強かつ勇猛果敢なことでとみに有名だった。その辺境伯領が封鎖されるとは――。
「爺さんには子供の頃からフランス語でさんざん脅かされたよ。ヴレマン(本当に) ヴレマン(本当に) セ・テ・ヴレマン・エフレイヤン。(それは本当に恐ろしかった)  その話を聞かされるたびに俺はフランス語ってのは実に嫌な表現に長けた言語だと思ったもんだ。ああ、鼠が疫病を運ぶとも言っていた。だから俺の実家じゃいつも沢山の猫を飼って、神様みたいに大事にしてた」
「そう言えば、去年の冬は暖かったから鼠が殖えたって聞いたわ。うちも猫を飼った方が良いかもしれないわね」
 牡丹杏のケーキに手を伸ばしかけたアドリアンの手をエヴァンゼリンはぴしゃりと叩いた。
「もう駄目よ。残りはお父様に差し上げるんだから」
「もう一つ作ってたろう」
「ああ、あれね」
 エヴァンゼリンは立ち上がると、布に包み置いてあったそのケーキを持ってきた。
「公子さまに差し上げて。前にお好きだと王妃さまにお話しているのを聞いたことがあったの」
「どういう風の吹き回しだ。毒入りか?」
「敵意がないことを見せたいだけよ。食事の度に、いちいち他の方に味見を頼むのが面倒なんですもの。あんたはいつの間にか公子さまのお気に入りになってるし」
「どうだか。俺は口封じのために近くに置いてるんだと踏んでるよ」
「皇妹との婚約は延期になったそうだし、大きな狩猟も祝宴も予定されてはいないし、このまま何もなければ良いのだけれど」
 アドリアンは沈黙した。
 その何かを起こそうとしてるのは他ならぬ自分であった。それを知ったら、この娘はどう思うだろう。
 どこで釦を掛け間違ってしまったのだろう。
 それでもこの娘だけは命に代えても守ろうと心に決めていた。中途半端は百も承知、けれどその代償は払うつもりでいた。





「牡丹杏のケーキか。確かに私の好物だ。有り難く頂こう」
 アドリアンはその足でリンブルク公爵邸を訪れた。
 すぐに飽きるだろうとアドリアンは予想していた。しかし三日と空けずリンブルク公爵邸を訪れるようになっても、公子はアドリアンに、アドリアンの身体に飽きなかった。
「毒入りかもしれません」
「では、食べる前に貴殿に毒見をしてもらおう」
 まるでそれが当然のことであるかのように、公子は手を大きく広げて、アドリアンを誘った。
 椅子に腰掛けた公子の膝の上に腰を下ろすと、公子はアドリアンの唇を求めてきた。口付けの初めは頑なその舌もすぐに公子の熱に煽られ、おずおずと絡んでいく。
 公子の背に手を回し、互いの舌を絡め合う情熱的な口付けをする。粘着質な水音が室内に響き、アドリアンはびくりと身体を震わせた。
「夢にも思わぬであろうな、あの侍女は。我らがこのような仲になっているとは」
「どうでしょうか、あれは敏い娘です。貴方と同様に」
「よく聞く評価だが、不思議だな、貴殿に言われると嬉しいものだ」
 言って、ゆっくりと唇を放す。名残りの唾液が糸を引いた。
 口付けだけで既に勃ち上がってしまっていた。公子は恐らくそれに気付いたのだろう。シャツが乱暴に開かれ、上半身を露わにされる。外気に触れてつんと立ち上がった頂きに細い指が触れてくる。
「……っ……」
「今夜は来ないものと思っていた。余計に嬉しい」
「奇異に思われているのではないのでしょうか、貴方のご家族は」
「父上はご機嫌だ。どうやら私が王の動向に興味を持ったと思っているらしい。だからこそ近衛の副隊長と親しくしてるのだろうと」
 感じやすい頂きを指で挟まれて引かれ、刺激が直接腰に響いた。
「あ……っ」
「しかしルードビィヒはどうかな。あれは……」
 公子はアドリアンの背後から腰帯を引き抜くと、下着ごと引き下ろした。自身もまた着衣を緩めると、先走りの液を滲ませたそれを取り出す。
「兄だからこそ言おう。あれは決して敏くはないが、私の心の機微に敏感だ」
 公子はアドリアンの腰を抱え込むと、蕾にそれを押し当てた。滑りを帯びた先端を擦りつけ、アドリアンの肉欲を煽る。
「あぁ……ッ」
 ひどく感じてしまい、腰が落ちた。アドリアンの自重とぬめりの力を借り、屹立の先端が蕾にめり込む。
「あれはよく私に言うのだ。最近の兄上は楽しそうだと」
「楽しい……のですか。ん…ッ!」
 公子が腰を上げたがために、屹立はさらに深い部分に埋め込まれた。
「あれは皇妹が気に入ったらしい、あの姫なら義姉上と呼べるなどと言っている。だからこそ婚約が延期になったとというのに何が楽しいのかと訝っているらしい」
 アドリアンの耳に唇を近付けると、公子は囁くように言った。
「腰を落とせ」
 羞恥に身体を染めながら、それでもアドリアンはゆっくりと腰を落としていく。悦びに震える襞を割り開き、公子の屹立がアドリアンの奥深いところにまで入っていく。
「ふふ、また貴殿と一つになれた」
 公子がゆっくりと律動を始めるのに合わせ、アドリアンもまた動き始めた。公子が溢れさせる先走りの液が狭い内壁の中で擦れ合い、粘つく音を立てる。
「く…っ……あ…」
 公子はアドリアンの背に手を回し、そこに走る何本もの傷痕に指で触れた。傷痕をなぞるように指が動かされると、快楽とは違った堪らない感情が生まれた。
「お止め下さい……」
「なぜだ」 
 アドリアンは身を捩って公子の手を傷痕から遠ざけた。
「騎士の傷など物の数ではございません。むしろ勲章でございましょう」
「かつての主君のために負った傷か。――妬けるな」
 アドリアンは沈黙した。公子の背をかき抱き、思いを振り払うように、積極的に腰を振る。
「ん、は…ッ」
 腰を落として深く貫かれ、腰を引けば、その後を追うように公子が腰を突き上げ、より感じる浅い部分を擦られる。アドリアンはたちまち昇りつめた。
「まだ想っているのか?」
「ッ……何を、でございますか」
 感じる部分を狙って突かれ、アドリアンはたまらず公子の背に爪を立てた。
「前の主君だ」
「……ッ!」
 公子の引き締まった腹で屹立を擦られ、アドリアンは射精した。絶頂と同時、自分の中の公子を強く締め付け、公子もまた長い射精を行った。





「牡丹杏のケーキは私の母が気に入りで、よく料理人に作らせていた」
 寝椅子の上で、アドリアンは公子の膝に抱かれていた。公子は話しながら、アドリアンの身体のあちこちに口付けを落としていく。その度に絹糸のような金糸の髪が肌に触れた。
「その姿を目にするうち、私もまた好きになった。あまり家庭をかえりみない方であったから、少しでも繋がりを持ちたいと子供心に思ったのかもしれない。母は私が五つになるかならずして亡くなった。だから思い出は少ない」
 公子は笑って。
「貴殿の遠縁の侍女は家庭的な良い子だ。そうは思わぬか、ヴォルフ」
「はい。……!」
 失言に気付いた時には既に遅かった。
「やはりそれが貴殿の本名か。ヴォルフ、狼か。アドリアンよりもふさわしい名だな。本名であれば当たり前だが」
 アドリアンは身を固くすると、公子の膝の上から降りた。
「貴殿はよくやった。ただ私の方が一枚上手だっただけのことだ。仕方がない、誰しも金貨の魅力の前には帽子を脱ぐ。――使いは世にも美しい村だったと言っていた。エルザスのリクヴィール、名前も美しいな」
 それはアドリアンが生まれた村の名前であった。
「貴殿が出した手紙はその村で一番の名士の元に届いた。ローマ法を守る裕福な郷士の家で、長男は葡萄農家を継ぎ、末子は騎士となる決まりがあるそうだ。末子の名前はヴォルフ、村人の話では十二の歳に騎士修行のために村を出たという」
 アドリアンは隻眼を細め、公子の言葉に静かに聞き入っていた。
「リクヴィールのヴォルフはエルザス方伯の元で騎士修行を行った。後に方伯の城を訪れた帝国の皇太子が気に入り、方伯に頼み込んで、その騎士を譲り受けた。それこそがレオンハルト皇太子、後の鉄のレオンだ。貴殿は悪名高き鉄のレオンの聖騎士(パラディン)だった。違うか?」 
 アドリアンはそれには答えず、別のことを口にした。
「そこまでご存知なら、その先のことも調べておいででございましょう」
「むろん調べた。ヴォルフは聖騎士隊の副隊長で、皇帝の覚えもめでたかった。だが、ある日突然皇帝の不興を買い、片目を潰され投獄された。後に獄中で死亡したとされている」
 その話はアドリアンにも初耳だった。
 自分の脱獄は騒ぎとなり、脱獄囚として手配されているだろうと思っていた。
 アドリアンを傀儡として操りやすくするために、あえて聞かせていなかったのだろう、仮面の男――ラインハルトは。
「しかしその男は死んではおらず、今ここにこうしているという訳だ」 
 ふいに公子が手を伸ばして来、アドリアンは身体を硬直させた。打たれると思ったのだ。
 しかし公子はアドリアンの手を取った。
「新しい第二の人生を始めるためにこの国に来たのか。ならばそれで良い。私もそれで終わりにしたいと思う。けれど貴殿の行動にはどうにも腑に落ちぬ点がある」
 その通りだと答えるのは容易だった。その答えを公子もまた望んでいる。
 そうだと言ってしまえればどんなに良いか。そう言って懐柔し、その後で傾国のように強請ればよい、国王の座を。
 だがそう思う一方で、アドリアンは公子の敏さ、鋭さを誰よりもよく知っていた。公子は心の奥底でその嘘を見破るだろう。
 そして二度と自分に心を許さなくなる。
 それは予想ではなく、むしろ確信だった。
「貴殿を断罪し、責め立てるのは容易だろう。しかし私はそれをしたくない。どうしたら貴殿は打ち明けてくれる? ――真実を」
「お答え出来ませぬ」
 顔を上げて公子を見る。その瞬間、アドリアンは気付いた。
 いつも冷静さを崩さない公子、その頬が僅かに強張り、神経質な震えを見せていることに。
「少なくとも、今は」
 それだけ告げるのが精一杯だった。
 アドリアンは踵を返すと、公子の部屋を後にした。






つづく
Novel