冬の狼 14





 アキテインの十月はいつにも増して美しかった。森の白樺は黄金色に染まり、楓は真紅に色付いた。
 しかし夏の暑さと共に去り行くはずのその疫病は未だ帝国に暗い影を投げかけていた。
 疫病はラインスター辺境伯領と国境を接するエルスファーレン大公国にも広がり、棺桶どころか死体を焼く薪にも事欠く始末だった。貴族や裕福な商人たちは国を出て避難を始めていたが、路銀さえ持たぬ貧民は折り重なって街中に倒れこんでいる有様だった。
 不穏な噂が流れる中、アドリアンはカール・ブロスフェルト・フォン・リンブルクの焦燥を感じ取っていた。
 王城の大広間で、中庭で、視線を感じて振り向くと、いつも公子の姿があった。それに気付くと、アドリアンはいつも目を伏してその場を立ち去るのだ。
「ご不興を買ったの?」
 他の侍女たちと同室ではあるものの、エヴァンゼリンは王城の一角に部屋を与えられていた。城人に誤解を招かぬよう扉を開け放したままのその部屋で、二人は話をしていた。
「あんなに気に入られていたっていうのに――」
 公子とアドリアンとの間の確執に最初に気付いたのは、やはりエヴァンゼリンだった。
「それとも引き抜きでも打診された?」
 アドリアンは国王直属の近衛の騎士だった。幾ら国内屈指の大貴族相手とはいえ、公子からの引き抜きを受けられるはずがない。そう思っての発言であろう。
「まあ、そんなようなところか」
 猛威を振るう疫病に怖気づき、アキテインの貴族たちは窮屈な生活を強いられていた。疫病が蔓延している国から来た旅人には誰も近付かず、また国を出る者も激減した。
 公子に察知されることを恐れ、アドリアンはラインハルトへの手紙を控え、時折訪れる使者に近況を伝えるだけに留めていた。ラインハルトもまた疫病を恐れ、今はとある皇帝選挙侯の城に滞在しているとのことだった。
「夏と共に去ると思っていたのにね」
「何年かに一度流行する流感がその年によって症状が違うように、これもそうなのかもしれない。また違った種類の疫病なのかもな」
「どっちにしろ早く収まってくれないかしら。秋のお楽しみの一つの狩猟も舞踏会もないんですもの。こうやって話すのだけが楽しみだなんて」
 頬杖を付いてため息を付く。けれどすぐに顔を上げると。
「ああ、でもそのお陰で、王様はよく王妃様の寝所に訪れるのよ。これでお子様が出来でもしたら疫病さまさまね」
 王の秘め事は公的な事とされているが、あまりにあけすけなエヴァンゼリンの言葉にアドリアンは閉口した。しかしその内容はしっかりと脳裏に刻み付けていた。

――もし王妃に子が出来でもしたら、公子を王位に就ける企みはさらに難しくなるだろう。

 エヴァンゼリンと別れ、アドリアンは王城の長い廊下を歩いていた。
 しかしラインハルトの狙いは操れる王だ。公子は唯々諾々と操れるような男ではない。操るのなら、やはりリンブルク公爵か、公子の弟……。
 背後からの気配に気付いて振り向く。あっという間もなく口を塞がれたかと思うと、王城に数多ある空き部屋の一つ連れ込まれた。
 相手を確めるや、剣を抜こうと腰帯に伸ばしかけたアドリアンの手が止まった。
 カール・ブロスフェルト・フォン・リンブルクであった。
「久しいな、ヴォルフ」
「閣下」
 久し振りに間近で見る公子は変わらず美しかった。
 逃れようとするのを許さず、公子は後ろから羽交い絞めにしてきた。騎士たるアドリアンである。その気になれば振り払うのは容易だった。機先を制して公子は言った。
「貴殿が逃げるのなら大声を出すぞ」
「何と言い逃れをするつもりです」
「我々二人の体面は丸潰れだな。だがそれでも私は構わない」
 それを聞いて、アドリアンは強張らせていた身体の力を抜いた。公子に恥をかかせるつもりはなかったからだ。
「いつだ。いつになったら貴殿は私に真実を打ち明ける」
 口吻も荒く公子は言って、荒々しくアドリアンのシャツを両手で引き裂いた。その勢いで胴衣の釦が弾け飛ぶ。
 いつも冷静な公子が見せた思わぬ熱にアドリアンは驚愕した。
「何を……」
「見せてもらおう。私と会わぬ間に誰かと寝たか確める」
「貴方らしくもない」
「何が私らしくて何が私らしくないか。それは私が決めることだ」
 シャツは腰まで引き下ろされ、丁度アドリアンの腕を戒める形となった。ラインハルトがいない今、アドリアンは純潔だった。鬱血や噛み傷の類が何一つないその身体を見て、公子は僅かに表情を緩めた。
 アドリアンの首筋に口付けるときつく吸い、そこに所有の証を刻んだ。
「っ…あ……」
 公子は背後からアドリアンの脚間に太股を挿し入れた。感じやすい頂きをそれぞれ抓み上げられると、すぐに身体が熱を帯びた。
「両手……は…ッ……」
 外気に触れて尖った頂きを指先で捏ねるように撫でられて、アドリアンは喉を晒して喘いだ。
 腰帯が取り去られ、剣が床に落ちると、ごとりという鈍い音が響いた。
 机に腕を付かされ、尻を突き出す体勢を取らされる。公子の熱く昂ぶったそれが押し当てられた。
 大勢の城人が行き交う王城の一室、そして扉に閂は掛かってはいなかった。突き入れられるその痛みを、漏れそうになる悲鳴を、アドリアンは歯を食い縛ることで耐えた。
「レオンとは寝たのか。奴は上手かったか?」
「あ…ああ…っ…」
 律動に合わせて机が揺れ、アドリアンの身体を軋ませる。アドリアンを抱く時の公子はいつも優しく穏やかだった。同じ男が獣じみた激しさで腰を振っていた。
 アドリアンは公子のこの行動から嫉妬から来るものだと既に気付いていた。もう少し、後少しで、この男は堕ちる。だが、未だアドリアンは躊躇っていた。
「それを聞いて、…どうするというのです」
「貴殿は心の中で他の男たちと比べているのだろう、私を」
 アドリアンは肩越しに振り返って言った。
「貴方も所詮は王侯だ。王侯はこちら側には決して踏み込んで来ない」
「何?」
「そして騎士は王侯の遊び道具。遊び飽きたら惜しげもなく捨てる」
「私を試す気か、ヴォルフ」
 腰を掴み、激しく突き上げながら、公子は言った。ぱん、ぱんと肉と肉とがぶつかり合う生々しい音が暗い部屋の中に響く。
「私は、っ…私は国王陛下の騎士、は…ッ…欲しいのなら、国王に」
「私が王になれば真実を話すのか。私の物になると言うのか!」
 大きくいきりたったそれで最奥を貫かれ、アドリアンは思わず机の角を握り締めた。
「けれど……」
 大きく息を吸い込むとアドリアンは言った。
「貴方にはお出来にはなれないでしょう」
「……ッ!」
 公子は激しい怒りと共に腰を打ちつけ、達した。身体の奥深い場所に熱い奔流が注ぎ込まれ、飲みきれなかった精液が太股を伝って流れ落ちる。
 扉のすぐ向こうに人の気配を感じながら、アドリアンもまた精を放った。





 一時の熱が過ぎれば、もう公子はいつもの冷静さを取り戻していた。
 床に座り込み、乱れた金糸の髪を整えると、その蒼氷色の瞳でアドリアンを見た。
「手荒にしてすまなかった」
「いえ」
 破れたシャツの上から胴衣を身に付け、どうにか王城の廊下を歩けるだけの体裁を整える。
「どうしてだ。どうして皆私を王位に就けたがる。私にそれができないことことを知っていて」
「良いのです。それが貴方で、だからこそ皆貴方を王位に就けたがる。……カール」
「ヴォルフ、お前は国王の物なのか。国王になれば、手に入れられる物なのか」
 地獄の門が開く音が聞こえたような気がした。
 自分は今、その門を開く鍵を握っている。この家族想いの高潔な男を自分は地獄に引き入れようとしている。果たしてそれが許されるのか。
 アドリアンは決意を固めて、ゆっくりと口を開いた。
 と、扉の向こうで、複数の慌しい人の足音と声がした。興奮気味らしい人々の話の内容までは判らない。ただ陛下に早く、と口々に騒ぎ立てるその言葉だけが聞き取れた。
 アドリアンは扉を開けて外に出た。目の前を通り過ぎていく大勢の人々の中に、エヴァンゼリンを見掛けた。真っ青な顔で、息を切らしていた。
 扉を背にして立つ二人の姿を見ると、エヴァンゼリンは足を止め立ち尽くした。どうやら二人の間にある只ならぬ気配を感じ取ったらしい。
「どうした、エヴァンゼリン」
 アドリアンは構わず尋ねた。
「ああ、アドリアン。大変なの。ついにローゼンブルクであの疫病の死者が出たのよ!」





つづく
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