冬の狼 3





 アドリアンは絶句した。
「何を驚くことがあろう。陰謀、諜報は貴様ら聖騎士(パラディン)の十八番であろう。女も子供も平気で殺す、それが鉄のレオンの聖騎士隊だったはずだ」
「今の俺は国王陛下の親衛隊員だ。その王を――殺すなど」
「臣下としてあるまじき行為だとでも言うのか。だが王にそれほどまでの忠誠を誓う騎士も、所詮は王侯の慰み者だ。お前はそれを誰よりもよく知っているはずだ」
 王侯の慰み者、男の言葉は正しいのかもしれなかった。
 王侯は純白の布に落ちた、ただ一点の染みすらも許さない。どれほどの臣従の礼もどれほどの忠実もなかったものとされる。召使に冷たくこう命じるだけだ。捨てておけ、と。
 顔の輪郭に沿って男の指が滑らされる。指が唇をなぞり、軽く開かされた。
「我はお前が本来持つ能力に加えて閨房術も仕込んだ。今の位置に着けるため、二年の歳月も掛けた」
 抗うことを許さず、舌に直接触れられた。唇が塞がれ、言葉を奪われる。
「お前はただ上手くやればよいのだ、ヴォルフ」
 熱い舌は歯列を割って入り込んだ。舌と舌を絡める熱い口付け。飲みきれなかった唾液が唇の端を伝って流れ落ちる。
 アドリアンを揺さぶるように男は言葉を重ねた。
「我はすぐに下手人が知れるような愚鈍な計画は企てぬ」
 男は唇を軽く噛みながら、アドリアンの頂きに触れた。指の腹で丹念に弄って縊り出し、頂きを捏ねた。
「……ッ…」
「お前はここを弄られるのが何より好きだったな、ヴォルフ。今でもそうか?」
 しこった頂きを口唇で挟み込まれ、舌先で刺激を与えられる。厚ぼったい舌で舐められて、アドリアンは啼いた。
「っ……あッ…」
 二年もの間、人との接触を断っていた身体であった。が、アドリアンの身体を知り尽くした男の手に掛かると、たちまち情欲の火が点る。弄られてすっかり芯の通った頂きを乾いた指の腹で擦り合わされるのが堪らない。
「我の願いが叶ったその時にはお前を我の手元で飼ってやろう」
「誰が……!」
「ふふ、その強情さは相変わらずのようだ」
 頷く代わりにアドリアンは唇を噛んだ。
「この国に留まりたければ留まっても良い。次代の国王はお前を重宝しよう」
 すっかり敏感になった頂きを噛んで吸われると、快感が脳天にまで走るような気がした。太股に痙攣が走る。
「ほう、ここだけで達けるのか? ――淫乱が」
 耳朶をねっとりと舐め上げられ、言葉にさえ煽られて。アドリアンは咽喉を仰け反らせ、手足を突っ張らせると、熱い迸りを男の掌に放った。





 カール・ブロスフェルト・フォン・リンブルクは苛立っていた。毒薬の入手経路がどうしても判明しないのである。
 大貴族の常として、家族よりもむしろ従僕の方が主人の動向に詳しい。こんな事態に備え、カールは父親の従僕の一人を懐柔していた。その従僕もやはり知らぬ存ぜぬを通す。
 カールは諦めて直接父親に釘を刺すこととした。
「私が王になれば、そなたは王子となる。次代の王だ」
「私は王になることなど望んではおりません。私はいずれリンブルクとブロスフェルト、二つの公爵位を受け継ぐ身です。王よりもむしろ富裕な公爵となりましょう」
「しかし私が王に、そなたが王子となることは、マグダレーナの望みでもあったのだ」
「父上、この世にもはや母上はいないのです。いつまでも死者の言葉に耳を傾けてはなりません」
 既に晩餐は終わり、最後の皿も片付けられていた。
 林檎から作られた甘い蒸留酒を舐めるようにして飲みながら、カールは父であるリンブルク公爵と話をしていた。揺らめく蝋台の炎がテーブルの向こうの父の顔に淡い光を投げかける。
 カールの母親であったマグダレーナ・フォン・ブロスフェルトは権勢欲に取り付かれた女だった。生まれながらの女公爵、父の従妹であり、それはすなわち前国王の従妹であった。
 いずれ王妃となるだろうと周りに言われ、かしずかれて育ち、自分自身もそのつもりでいたと言う。王妃となれず、夫として王弟を宛がわれた時、その自惚れは怒りに変わったと聞く。
 原因は母上か――。
 父親の口からその名が飛び出した時、カールは悟った。二度目の妻を迎え、ルードビィヒという息子を得てもなお、父はまだ最初の妻の呪縛から解き放たれていないのだ。
「カール、そなたが儂を案ずる気持ちはよくわかる。だがこの世には危険を冒さねば、手に入らない物もあるのだ」
「成功するとは思いませぬ」
「そなたは何も知らぬのだ」
 父の言葉には含みがあった。
 カールの父は単純な男だった。その企みはいつも浅はかで結実しない。王位を狙う愚かな企みを国王が許し続けたのは、その単純さを愛しく思ったからなのかもしれなかった。
 だからこそカールは父の言葉に含まれた意味に気付いた。
「協力者がおられるのですか」
 カールの尋ねに、父は顔を強張らせた。
「いずれ判る日が来よう、カール、お前にも」
 リンブルク公爵は手を振って立ち上がり、それ以上の対話を拒んだ。
 父が去り人気の無くなった食堂で、カールは一人唇を噛んだ。  

――阻止せねばなるまい、どうやっても。

 暖炉にくべた枯れ枝が、ぱきり、と乾いた音を立てた。





つづく
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